あるいは,「いつまでもヤブと思うなよ」
ーグラウンドにはもちろん地雷が埋まっている.しかしゼニも落ちている.ー
ー自信という名の導火線,油断という名の信管,不安という名の探知機ー
一人医長の学習法
教科書
休む: なぜ頑張るのがイェローカードなのか カスガ先生の回答 まずは休憩されたし,臨床医の不安
症例検討:突然死
話す,言葉: 他者に対して・自分に対して 沈黙の使い方 診断をつけるよりも 大切なこと 客商売とは何か 禁句:"かわいそう"と"頑張っ て" "大うつ病性障害"なる言葉の問題点,タ イに行きましたか?
書く:退院時要約利用法,今日書かなければ永遠に書けない,症例報告を大切に,院内盗難事件の犯人,紹介状に略号を使ってはならない, 処方箋は日本語で書くべし,カルテは公文書である(あるいはあなたは松坂大輔である),忙しいときほどカルテを書くこと
診る,聴く: Script Concordance Test 面接の社会科:医療面接の社会的要素 誤診の形成過程 腱反射:呪縛からの脱却,医者にとっての家族の診断,心筋梗塞は胸痛では来ない, 徒然草 第百四十三段,病歴に科学を・教育に病歴を
飲む,食べる
手技:経鼻胃管と検尿試験紙,挿管,綿球の大きさ,採血時の酒精綿,新しい創傷治療
ネットでお勉強,Radiology Teaching Files 頚椎XP 胸部XP Teaching File:舌区の肺炎?,舌区の無気肺
検査のtips: HbA1c,
薬: 散剤や顆粒剤の濃度の問題 TPN (IVH)の際の微量元素,眠られぬ夜のために,解熱剤見直しの提案,チエナムとデパケン
お説教: 限界を知るのは伸びるため 教育&生物学的以外の要素 当事者意識未来について謙虚であること ロールモデルを見つけるな 悩む・もやもやするを大切に 何もしない勇気 派手な症候学よりも なぜ放射線科技師は医師を呼ばな かったのか? 神経内科レジデントへの手紙1 免許の意 義 アナログ性と不確実性 ホームページを作る のなら ストレスを避けるには お素人さん向け,地雷原の諸君へ,カッコつけようぜ,大変な紙切れ,なぜあなたは医者をやるのか,大穴狙いの癖,宗教の世界
今は昔の物語: 本塁打ではなく 空振り大歓迎, 研修:医師Aの場合,私の研修医時代,(専門医という名の素人たち,検査前確率:私の場合) 渾沌七竅に死す,負けない○○,恐怖感
限界を知るのは伸びるため
在宅診療の見学を勧めたら、早速始めてくれました。そのやりとり:
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以前、先生に、生物学的診断以外のことは、在宅で学ぶのが一番、というアドバイスをいただきました。昨日、東京で家庭医のトレーニングを受けた先生について、在宅往診を行いました。ALSでBiPAPの人がいたり、ものすごくまじめな介護をしている娘さんがいたり、いろいろな場面に遭遇しました。まだ、一日だけなので、なんとも言えませんが、医療にはいろいろな側面があることを改めて知った気がします。継続的に、少しずつですが、見学させていただこうと思っています。
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こういう世界もあるのか と素朴で新鮮な驚きを感じたでしょう。問診力は、患者さんと一緒に物語を紡ぐ力です。しかし、病院の中だけで働いていれば、患者さんがこれまでどういう人生を歩んできて、どのような環境でどんなふうに生活しているかは、全くわかりません。乏しい想像力で、デタラメに想像するしかありません。しかし、在宅診療の経験によって、問診力は飛躍的に増大します。
人の家の中までずかずか入り込んで、下の世話にまで関わる。そこまでして、患者さんや家族が、医者を育てようとしてくれるのです。患者さんも家族も、医者を育てているとは全く意識していませんが、家の中に入り込んだ医者の方は、患者さんの実生活と歴史に直に触れて、育てられていることを実感できます。
病院勤務医の世界だけしか知らなければ、病院勤務医としての自分の限界がわかりません。病院勤務医以外の世界を知ることによって、初めて、病院勤務医としての自分の限界が認識できます。自分の限界を認識して初めて、その限界をどうやって広げようかという戦略を立て、実行できます。
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他者に対して・自分に対して
1.短期的な課題:他者(例:医師にとっての患者、患者家族、看護師)に対して
○パターナリズム要求と自立宣言という、相反するアイテムを、自分の都合のいいように使い分けるダブルスタンダードを押し立ててくる相手と常に対峙しなくてはならないのが医者という商売
○相手が持っているそのダブルスタンダードを、状況によって、相手によって、どの程度責めるか、たしなめるか、気づかせるか、黙認するか、常に判断を求められる。
2.中長期的な課題:自分という他者に対して
○山のあなたの空遠くに、光り輝くデジタルな正解があるはずだという妄想に取り憑かれている自分に気づけるか?その妄想から解放されると楽になれることに気づけるか?
○「わからない」を使いこなせるか?
当事者意識
(医学部3年生とのやりとりから)
> なぜか、最も印象に残っているのは、先生が深夜の宿直室で怖くて一人で震えている時
> の話であったり、大晦日に除夜の鐘を聞きながら病理解剖して過ごしている時の話です。
> なぜ、僕が池田先生に興味を持ったかということが、僕自身にとって最
> も大事な部分でした。それは、やはり、先生がある程度はっきりと、自分の惨め
> な、隠しておきたいだろう思い出を口に出されるからだろうと思います。
一番単純に表現すれば,「医師として不安だらけの私の体験談に共感したから」ということになるでしょう.「共感」というアイテムを使うと,他者を自己の鏡として使えます.私に興味を持ったということは,私を自分の鏡として使えると判断したからです.
自己とは他者である
内田 樹も「自分とは他者である」と言っていたと思いますが,今はちょっと原典が見当たりません.
自分と他者を区別できないミラーニューロン
> 他人や、もしかすると、自分自身への興味を失っているからではないかと思います。
これも,「医師になるにあたって不安だらけの自分」から目を背けたかった
と表現できます.自分への興味が湧いてくること.それが当事者意識です.その対極が,当事者意識を失った状態,つまり「評論家」です.「このままでは日本の医療は崩壊してしまう」と心配するのは典型的な評論家活動です.多く人は,日本全体のことより,自分の人生,自分の家庭,自分の患者さんのことの方がはるかに優先順位が高くて,当事者意識を持たなくてはならないのに.
どんな人間にとっても,自分自身は暗黒大陸です.探検するのが怖いのです.自分の中にとんでもないものが見つかってしまう恐怖感があるので,多くの人は,「自分のことは自分が一番よくわかっている」という根拠無き妄想にどっぷり浸かって一生を過ごし,何事に対しても評論家のままで死んでいきます.
でも,自分自身に興味・好奇心を持ち,自分の頭の中を探検するのは,実はとても楽しいことです.だって
●困り事,悩み事は全て他者に影響された自分の中から生まれてくる.そのroot-cause
analysisの作業だから.その作業で,困り事,悩み事を大幅に減らすことができるから.
●自分が研究対象だから,いつでもどこでも種も仕掛けも不要
未来について謙虚であること
お手紙ありがとう。大丈夫だよ。学生の頃から君を見ていてそう思う。君は自分でもやっていけるかどうか、常に悩み、これからも悩み続けるだろうけど、悩むということは思考停止に陥ってないってことだから、どうぞ安心して悩み続けてください。
何しろ、安心して悩むどころか、安心して絶望する人生もあるぐらいですから。
向谷地 生良 安心して絶望できる人生 日本放送出版協会 777円
> きっと悩むことは止められないまでも,私も少しは自信が欲しいんです.
いいね。そう、自信は少しでいい。たくさんあると思考停止になるから。
では少しの自信をつけるにはどうするか?実は簡単だ。どん底だと思った時が絶好のチャンス!と覚えておけばいい。もし今がどん底なら今が絶好のチャンス。いつもどん底だと思ったら、いつでも自信をつけるチャンスがある。
どん底だと確信できるのだったら、どん底であるエビデンスをお持ちに違いない。つまり事態がそれ以上悪くならないって確信しているってわけだ。これが自信でなくて何が自信だろうか。
人生、一寸先は闇だという。結構だ。一寸先が闇ということは、二寸先が奈落の底か、あるいは光り輝く世界か、全くわからないということに他ならない。
我々は神ではない。だから、「わからない」ということに不安になる必要は全くない。明日も明後日も十年先も二十年先も、この先ずっと奈落の底が続くと決めつける傲慢さを恐れ、未来について謙虚でありたい。
なぜ頑張るのがイェローカードなのか
それは継続性を考えていないから。一体いつまで頑張るんだい?一体何様のつもりだい?一生、頑張るつもりかい? 自分は不死身だと思っているのかい?頑張るのを止めるエンドポイントを明確にできないのならば、初めから頑張るなんて言わないこった。
沈黙の使い方
沈黙は典型的な非言語性コミュニケーションである。沈黙の使い方にかねてから興味があるので、普段の面接でも、意識して沈黙を使っていると、面白い発見に巡り会える。何よりも、自分が沈黙を徒に恐れず、道具として興味を持って使っている満足感が大きい。そもそも対話自体が、交互に沈黙する作業だ。
通常,沈黙というと,直接対話を思い浮かべるが,必ずしもそれだけではない.顔を合わせての面談と、電話相談の大きな違いの一つに、後者では、沈黙が非常に使いにくく、誤解を生みやすい点が上げられる。メールのやりとりでの,返事を書く間隔も沈黙の一つであり,必ずしもすぐに返事をすることが最良の結果につながるとは限らない.
ロールモデルを見つけるな
ロールモデルを見つけることが大切というドグマに惑わされてはならない.大切なのは,ロールモデルからの距離を見つけることだ.
ロールモデルというコンセプトには1人の人間を神格化するリスクが常につきまとう.そのリスクを低減するためには,常に複数のロールモデルを持ち札として,常日頃から個々のロールモデルの長所・短所を吟味しておき,現在自分が抱えているタスクを行なうに際して,どのロールモデルのどんな長所を使うか,そのロールモデルの短所を補うために,他のロールモデルのどの長所を使うか,そういう,リスク・ベネフィットを最適にするような組み合わせを考える必要がある.このような長所・短所を吟味のために,距離が必要なのだ.
悩む・もやもやするを大切に
「悩む」,「もやもやする」ことに不安感を持たず,「慎重に考えているんだ,思考停止に陥っていないんだ」と捉えること,その上で,その悩み,もやもやを後で閲覧可能な形に記録すると,論点と落としどころが見えてくる,あるいは,悩み,もやもやを意識下から掘り出して,適切な仲間と共有し,吟味してもらう そうすれば,悩みや,もやもやは,リスク低減のための大切な資源に転換できるというわけだ.特に,見切り発車や思考停止に「決断」というラベルを貼って賞賛されがちな速度重視の御時世では.
散剤や顆粒剤の濃度の問題
具体例としてテグレトールがあります。錠剤はテグレトール錠100mg、テグレトール錠200mgとなっており、間違いはないのですが、テグレトール細粒 50%が別にあります。
例えば、経管栄養の人には細粒を処方するわけですが、私はいつも、"カルバマゼピンとして○○mg"とわざわざ付記するか、あるいは敢えて一般名処方をし ていました。些細なことのように見えますが、血中濃度に常に神経質になっていなければならない薬剤なので、大きなストレスで、なぜ、こんな嫌がらせのよう な細粒を作るのだろうと、処方する度に会社を呪っていました。
何もしない勇気
"わからない時は動かない"ってのは,山登りで道に迷った時と臨床の共通の鉄則だが,この鉄則を守るのは,実はとても難しい."何もしない"のには勇気が いる.なあに,私が言っているんじゃない.羽生善治が言っ ている.
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難しい決断の場面では、誰しも答えを単純化したい、明確化したい欲求に襲われます。でも、あえて答えを決めず、方向性だけを決める。そうした曖昧さや漠然 とした状況を残しておくことも大切なことだと思います。ある意味、それは答えを出さないことに対する不安や恐怖に打ち勝つことができるかどうかという問題 です。
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一人医長の学習法
研修医の方々は,通常,指導医の飯塚病院での道場で,私が7年目で,当時850床の旭中央病院で、神経内科医一人で、上級医もなく,どうやって自分の仕事 の評価を受けていたのかと問われて、
○一番基本的な、そして大切なフィードバックをくれる相手は患者さんです。患者さんに助けてもらうのです。困った時の患者さん頼みです。患 者さんにどうやってうまく助けてもらうか。そこを学ぶのも研修ですね。みなさんが、意識的にせよ、無意識にせよ、上級医をを評価するときも、その上級医が 患者さんから学ぶ態度を重視するでしょう。
○患者さんには,ご本人が亡くなった後にも教えてもらいました.つまり,年400体と解剖がめちゃくちゃ多かった病理にも、病棟の看護師 休憩室と同様の気楽さでしょっちゅう顔を出して、専門領域の全く異なった、まるきり他人の症例でも、肉眼剖検所見と臨床上の問題を対比させる訓練をした。
○病理での脳の肉眼切り出し(brain cutting)には、たとえ受け持ちでなくても全例立ち会って、臨床所見と肉眼病理所見を照らし合わせた。
○症例報告を積極的に書いた(時間がなくて旭にいる間は英文1報、日本語3報しか書けなかったけど、症例報告を書くのは、自分の仕事を外在 化させて、世間から厳しい評価を受けることで、自分の仕事の質を高めることができるのです。論文を書くのは有名になるためではありません。自分が批判され る立場に立つことです)
○他の診療科の同僚、上級医と、彼らの専門領域での診療で、自分の疑問を遠慮なくぶつけた。7年目だったけど、呼吸器や消化器の症例検討会にも積極 的に顔を出した。
○自分の師匠(母校で出身教室の教授)が月に一回、回診に来た時に,診断や治療方針がわからなかったり,迷ったりする症例を診てもらっって,疑問を どんどんぶつけた.
○もちろん,人に教えることで自分が学んでいた。研修医(当時私は7年目)、看護師、放射線科技師、臨床検査技師といった人々と議論してフィード バックを受けていた。
教科書
Bedside Diagnosis. An Annotated Bibliography of Literature on Physical Examination and Interviewing.本ではありません.身体診察エビデンス論文集というべきものです.ここには,頭部の聴打診 Auscultatory percussion--of headで慢性硬膜下血腫が診断できる
Guarino JR, Auscultatory percussion of the head. Br Med J. 1982;284:1075-7.
The data herein suggest that finger and stethoscope are nearly the equivalent of computed tomography in detecting such masses as subdural hematomas. てな論文が紹介してあったりして,たまげます.
The patieny history evidence-based approach. Lange ; ISBN: 0071402608
おなじみ、日本でも長年医学教育に携わってきたTierney 先生の、病歴聴取定跡集と申しましょうか。様々な訴えでの病歴の取り方:たくさんのcommon diseaseで、さまざまな訴えの感度,特異度,あるいは尤度比のエビデンスが得られており、非常に興味深い本です.
Sharon E. Straus (著) Evidence-based acute medicine:Evidence Based Acute Medicine Churchill Livingstone
common diseasesや救急外来で問題となる疾患の病歴,診察所見,検査所見の感度,特異度が充実.名 郷直樹&亀井三博先生による日本語訳も出ています.
Steven R. McGee (著). Evidence-Based Physical Diagnosis. W B Saunders Co ; ISBN: 0721686931 ;
こちらは、診察所見の感度,特異度が充実しています.こちらも日 本語訳が出ています.
ACP Clinical Skills Collection on DVD :値段は100ドル.内容はArthrocentesis and Joint Injection, Counseling for Behavior Change,Sports Medicine Musculoskeletal Examination, Using Skin Biopsy in the Office, The Pelvic Examination, Efficiency through Effective Communication, Clinical Breast Examinationということで,今ひとつ物足りないので,私は買っていないが,内容を見た人は教えてください.手技もののビデオで,日本で作成して 市販しているものは,高くて内容が貧しいのが困りものです.
休む
カスガ先生の回答
"のめりこむ,一途になる,激情に走る,こういった態度は騒がしいだけです。医師に必要なのは,若干のシニカルさと強迫的傾向,そして羞恥心で す。" (カ スガ先生の答えのない悩み相談室第二回:週刊医学界新聞 第2634号 2005年5月23日より)
今時,都立墨東病院精神科部長勤め上げられる医者なんか,見つかるもんかと思っていたのだが,度胸のある人というのはいるもんだ.こうでないと地雷 原は歩けない.
まずは休憩されたし
多感な、いつも自信が持てない、そして,自分には医者が合っていないんじゃないかって考えている、そんな,私と同じ悩みを持つ医学生、研修医、そして,そ れとは全く反対に,厚顔無恥なゆえに,自分が医者であることに,これまで何ら疑問を持たずに,運良く医者を続けてこられた人々にも,読んでもらいたい。
医 学生のメンタルヘルスを考える
名 郷直樹の研修センター長日記 13R うれしいような,かなしいような
臨床医の不安
臨床医には,臨床医でしかないことに不安を感じる臨床医と,臨床医でないことに不安を感じる臨床医の二通りがあると思っています.
私の場合は,学生の頃から,臨床医でしかない状態に不安を感じていました.臨床医は,もともと自尊心が高い人がほとんどなのに,上司や仲間から厳し い評価を受けやすく,競争も厳しい.患者・家族の要求度も高いのに,努力してもいい結果が出るとは限らない.時には,悪い結果の責任を取れと攻撃を受ける こともある.
そんなストレスが多い職業に自分が耐えていけるとは思えなかったのです.だから,逃げ場,つまり臨床医以外の道も,できれば複数確保しておかねばな らない.そう思っていました.その結果が現在の私の姿です.
現場が怖いのです.学部の二年生の時,現場に出入りするようになってから今まで,ここ四半世紀ずっとそうでした.人並みに白衣を着て聴診器を持つだ けでは満足せず,ハンマーまで持って,地雷がどこに埋まっているか,隅から隅まで知り尽くしているような顔をしていても,やはり怖い.もちろん,その恐怖 感を持ちつづけているからこそ,ここまで大事故に遭わず(と思い込んでいるだけかもしれない)やってこられたのですが.
さて,冒頭のニつの型ですが,医学生の頃からはっきり二通り分化して,以後,相の移動は起こらないのか?あるいは臨床経験を経て相の移動が起こるこ とがあるのか?
症例検討
突然死:進行したアルツハイマー病で長期ほぼ寝たきりで入院中の89歳の女性でした。 家族からは、万が一のことがあっても心肺蘇生
はしないでもらいたいとの希望があり、診療録にも明記してありました。ある夏の日の午前3時、胸が苦しい(痛いではなかった)と病棟看護師に訴えた時はす でにショック状態。ベッドサイドまで歩いて3分、走って1分の病院宿舎にいる私が駆けつけた時は心肺停止。
執刀は私がやらせていただきますと言って、剖検のお願いをご家族に快くご了解いただきました(家族に対して剖検の説明をする時に、病理解剖医も積極 的に関与するようにと、Death of the teaching autopsyと題した最近のBMJのdebate(BMJ 2003;327:802)に提案がありましたが、こういう時に主治医が執刀すると宣言できるのは強みです)。
解剖前に私が予想していたのは、
1.死因となる明らかな病変が見つからない(時に経験します。何らかの不整脈が死因と想像するだけです)、
2.肺梗塞
3.心筋梗塞
でした
解剖は私が主執刀者で入りました。型どおり皮切、破骨鉗子で肋骨を切って胸郭をはずした途端、息を呑みました。その次には、"なんだあ、こりゃあ" という、うめき声しか出ませんでした。
普通は心膜と脂肪で黄色-クリーム色のはずの心臓が真っ黒なのです。縦隔でクリーム色なのは萎縮した胸腺だけ。"タンポナーデだろう"と、落ち着い た声の上司(病理部長。専門は神経病理ですが、後で聞いたところ2例ほど同様の経験があったそうです)。彼が側にいてくれなければ、パニックで、大血管か ら心臓をはずす術もわからなくなっていたでしょう。心膜をY字切開したところば、確かに血液がどっと流れ出しました。
一体どこから血が出たのか、これも部長の指示で、慎重に心臓と大血管を切り出しました。大動脈弁輪 1cm上に刃物で切ったような切れ目があり、そこからの出血でした。瘤を作らず、動脈壁全層にわたって裂けて、タンポナーデという形になって亡く なったわけです。これを生で見せられて腰が抜けそうになったもわかっていただけると思います。
既往歴では、高血圧症、高脂血症、糖尿病といった動脈硬化症の危険因子はありませんでしたが、大動脈には89歳という年齢相応の(89歳ですから高 度です)動脈硬化性変化がありました。大動脈には、肉眼的にそれ以外には特別な病変はありませんでした。腹部動脈には動脈瘤はありませんでした。(89歳 と言えば、ほとんどの人の大動脈は高度の動脈硬化をきたしています。剖検時、はさみで切開する時は、若い人はゴムのような柔らかさがありますが、89歳で すと、女性でも男性でも細かい石をまぶした厚紙を切るようにがりがり音がします。)
脳は臨床診断通り、典型的なアルツハイマー病でしたが、脳梗塞、脳出血は、新鮮なものはもちろん、陳旧性のものもありませんでした。なお、血清梅毒 反応は陰性でしたし、大動脈の病理組織でも梅毒を示唆する所見はありませんでした。
まとめると、89歳という高齢の女性。瘤を作らず、全層にわたって裂けて、いきなりタンポナーデ→突然死という形で、長期臥床、それも就眠中に発症 した大動脈解離でした。文献的には、大動脈解離は女性に多いという報告があったと思いますが、正確なところは?
信頼区間を計算する方法
初診からはじまって、入院後のおむつ交換、食事介助から、剖検執刀、海馬の特殊染色標本の観察、病理報告書まで担当させていただいた患者さんです。 こういう方々とその家族が、こうやって霞ヶ関のビルの中で書類の山と格闘する毎日でも、いつまでも臨床に関わって勉強を続けなければという気持ちを支えて くれています。
話す
診断をつけるよりも大切なこと
問診,病歴という言葉に代表されるように,従来の臨床教育は,医療面接においても,biologicalな診断をつけることに力を入れてきた.しかし,患 者さんが困っている問題は,biologicalな診断とは,しばしば別のところにある.医療面接では,診断がつくかどうかなんてどうでもいい時さえあ る.いや,むしろそういう状況の時の方が多いかもしれない.
医療面接の目的は,患者さんに納得してもらうことだ.診断がつくことは,納得してもらうための数ある必要条件の一つに過ぎない.数ある必要条件の中 で,診断をつけることが優先順位で最下位になることだってある.ここで決して忘れてはならないのは,数ある必要条件の中の一つに過ぎないものを,十分条件 と勘違いしないことだ.特に外来診療のような限られた時間の中では,目の前の患者さんの診断をつけることと,それ以外のことにどの程度の力を注ぐのか,面 接の冒頭に決定しなければならない.
先日,亀井道場で,めまいの患者さんを診察する機会があった.その患者さんを前にして,私は ろくろく診察せずに,もっぱら本人よりも,付き添いの娘さんからお話を聞いた.めまいというと,普通は躍起になって原因診断をする.しかし,私はそうしな かった.前立ちの学生さん達の面接,診察が素晴らしくて,biologicalな診断という点では,私がやるべきことが何もなくなってしまったことにもよ るのだが,患者さんが何を不安に思っているか,主訴は"めまい"としても,患者さん自身が,そのめまいをどう考えて,何を心配しているのか,実際の生活面 ではどういう問題が起こっているかの方がずっと大切に思えたからだ.
患者さんが診察室に入ってきたとき,私は連れ添っていた娘さん(と思われた女性)の存在が真っ先に気になった.上品な母娘.心配そうに寄り添う娘に とって患者さんは,きっと特別な存在だろう.脳卒中で倒れて寝たきりになったり死んでしまったりすることを,患者さん以上に娘さんが心配しているのではな いだろうか.この母娘は同居しているのだろうか.患者さんの夫(娘さんの父親)は健在だろうか.娘さんは所帯を持っているだろうか.もし所帯を持っている としたら,夫は義理の母のことをどう思っているだろうか.娘さんと夫の間に患者さんを巡っての葛藤はないだろうか.そういった社会的な大問題の数々が次々 を浮かんできて,こりゃ,めまいの診断はそこそこにしなきゃいかん.そのためには,患者さん本人よりも,娘さんとの面接が大切だな,と思ったわけだ.
どうかみなさん,ただでさえ難しい医療面接で,生物学的な問題と社会的な問題を一遍に考えるのは大変だと思わないでもらいたい.両方考えると患者さ んへの理解がより深まると前向きに考えてもらいたい.あるいは,自分は生物学的な面は苦手だけれど,社会的な面の考察なら得意だと考えてもいい.生物学的 な面は,誰にでも教えてもらえるし,自分で勉強もできるけど,社会的な面は今,ここで,この患者さんででしたか勉強できないと思うと必死で面接するから, 勉強の効率も上がる.
客商売とは何か
医療サービスは客商売だという.客商売だから,"患者様"と呼べという.しかし,実は,下記にあるような本当の客商売では,客を"様"付けで呼んだりしな い.では客商売とは何か.その答えは,2004年5月 13日付けの,宮崎学の本音のコラムにある.下記抜粋.
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東京で長年テキ屋をしている老ヤクザと、十年ぶりに会った。"コーシー"(老ヤクザの口調でコーヒーのこと)を飲みながら世間話をしていて、しきりに憤慨 していたことがある。娘夫婦がファーストフードのチェーン店を始めたのだが、何もかもマニュアル通りで、商売に必要な「気合」がないというのだ。
たとえば客にもっと酒を飲ませたいとき、その老ヤクザならおまけとしてコップではなくその下の升に酒をつぎ足すという。当然、客の様子を見ながら そのタイミングを計ってのことである。
しかし、ファーストフード店のウエイトレスは、最初から「ご一緒に○○もいかがですか?」と来る。マニュアルをこなすのに精一杯で、客との心情の 交流や駆け引きなどあろうはずもない。娘夫婦が一番大切な客商売の神髄を忘れているというのだ。
この老ヤクザにとってもっと腹立たしいのは、その店がJRの駅に近いという立地の良さだけで、テキ屋の数十倍の売り上げがあることだという。こん なロボットのような仕事で何百万も儲けるなんてお天道様に申し訳ない、と老ヤクザは嘆く。私もまったく同感である。
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"かわいそう"と"頑張って"
かわいそうとは,病者にとって何と残酷な言葉だろうか.自分が恵まれている,優位にあると思うからこそ出てくる言葉である.明日はわが身と思えば, 病者を仲間とこそ思え,かわいそうとは言えないはずだ.自分の方が恵まれていると思いを誇るような真似は,医療者たるもの厳に慎むべきである.
頑張ってという言葉も同じ.もう,十分頑張っているんだよ.頑張ってという言葉は,励ましではなく虐待だ.
"大うつ病性障害"は,すごく重症のうつ病ではない
精神科医以外の方にわかりやすく単純に言えば,日本でいう、"うつ病"に相当するのが,DSM-IVで言うところの、Major Depressive Disorderだが,これを、"大うつ病性障害"と直訳してしまったために、精神科以外の人々が混乱している。Major Depressive Disorderというのは、ひどく重症の特殊なうつ病であり、一般のうつ病とは別物だと考えてしまうのだ。
重大な問題の例をあげると:SSRIの副作用として、小児の自殺が問題になっている。英文の警告では、"小児のmajor depressive disorderに対し、SSRIを使うと自殺のリスクを増加させる恐れがある"という表現になるわけだが、この文章をもとに行政から相談されたある高名 な小児科医(小児/思春期精神科医ではなく、DSM-IVのことは名前しか知らない)は、小児では、major depressive disorderのような重症のうつ病は少ないから、日本では大きな問題にはならないでしょう"とコメントしたという。
タイに行きましたか?
週間医学界新聞の医学生・研修医版Vol 18 No.4(2003 May)に掲載された,東京SP研究会の佐伯晴子の連載コラム," あなたの患者になりたい"の今回の題名である.以下,引用
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「大きな病気をしたことは?」
「いいえ」
「手術や輸血の経験は?」
だから大きな病気をしたことがないと言ったでしょ,と心の中でぶつぶつ言いながら
「いいえ」
「タイに行きましたか?」……??
これには参りました。いくら新型肺炎が話題になっているからといっても,特定の国が出てくるとはびっくりです。海外渡航歴を聞く,という質問があるの で,てっきりそれだと私は思いました。ただどうしてタイ国なのだろう,と訳がわからなかったので
「は? タイ?」
と驚いて聞き返してしまったのです。
その驚き方に評価者も吹き出しそうになっておられましたが,一番驚いたのは学生さんだったようです。
「ええタインに行きましたか?」……
なんせ国名と思い込んでいるのでまだピンときません。
「他の病院に行ったかどうかですが」
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学生さんだから,まだ笑い話で済むかもしれない.しかし,医師免許を取って給料を貰うようになったら,こういう患者への嫌がらせは許されない.他に もこういう言葉はいろいろある."カンセンショウ"とか"エンショウ"とか,患者への説明の中で平然と使っていないかどうか,考えてみよう.
書く
退院時要約利用法
Ann Intern Medは掲載論文について,一般向けにわかりやすい要約をウェブ上で公開している.一般市民の臨床への理解を深め,学術論文の成果を社会で利用してもらう ためである.
あなたは,Ann Intern Medには論文を載せられないかもしれない.そんなあなたでも,一般市民の一人である自分の患者さんには,自分の仕事をわかりやすく解説できる.いや,そ うしなくてはならない.まず,できることからやろう.退院時要約を,患者さん向けに渡して,説明することからはじめよう.何事にも手際の悪いあなたにとっ て,患者さんが退院するまでには要約を完成するという締め切りが設定できる.いつものように,それが間に合わなくても,次の再来日までには必ず退院時要約 を書き上げなくてはならないから,再来日に外来で退院時要約を手渡して説明すればよい.
同じように,私は,紹介状のコピーを患者さんに渡して,文面を説明している.患者さんに説明しやすくするためには,紹介状を書くときもそれなりに配 慮するから,紹介先にとっても,わかりやすいものができる.
今日書かなければ永遠に書けない
退院時要約は入院時に書く.当たり前である.入院時に,入院後経過の手前まで,つまり退院時要約の半分以上は書けてしまう.そして,退院時に残りを書く. くれぐれも明日書こうなんて思ってはいけない.退院前日あるいは退院日が,退院時要約を完成できる可能性が最も高い日である.このチャンスを逃したら,永 遠に書けないと思え.そんなことぐらい,私が言う前にわかっているはずだ.検査結果が返ってきてからというのは,見え透いた言い訳である.そんなものは, 実際に返ってきてから付記すればいいことだ.とにかく,今日書くんだ.今日書かなければ永遠に書けない.
病理剖検依頼書(臨床要約)もそうだ.剖検開始までに間に合わなければ,剖検が終わって,ご家族に説明した後,すぐに完成させろ.絶対にその日のう ちにだ.退院時要約と一緒に完成させてしまえ.その日は他の仕事はしなくていい.眠る前になんとしても臨床要約だけは完成させろ.その日に書かなければ永 遠に書けない.
紹介状の返事もそうだ.その場で書くんだ.返事を書き終わるまで,絶対に次の仕事を始めるな.その時に書かなければ永遠に書けない.
症例報告を大切に:EBMでは症例報告は価値が低いという誤解のもとに,症例報告が ないがしろにされる傾向があるのは困ったものである.症例報告は臨床のαであり,ωである.臨床は症例報告に始まり,症例報告に終わる.どんな世界でも基 本がそれすなわち最終目標である.最も大切なものが基本となり,最も大切なものが最終目標になるからである.
Vandenbroucke JP. In Defense of case reports and case series. Ann Intern Med 2001;134:330-334
おなじみNEJMのMGH Case RecordsやLancetのCase Reportはもちろん,上記Ann Intern MedのAcademia & Clinic: Qualigy Ground Roundsなども,一例報告の大切さをよく表している.
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院内盗難事件の犯人
"あ,あんたなあ,医者のふりして泥棒やっ てじゃないんだよお!!"
症例検討会のプレゼンで,病歴と身体所見にちょっとした不備があったので,教授は,いつものように誰彼かまわずあんた呼ばわりして(臨床講義でも学 生を教室員同様に怒鳴りつけるもんだから,入局者が毎年極端に少ないのにもかかわらず,教室員の名前が覚えられないのだ)怒鳴っただけだった.怒りで興奮 した時の特徴で,語尾が伸び,言語蹉跌が混入した調子もいつもと全く変わらなかった.しかし,病院内で盗難事件が頻発していた時だっただけに,やれやれま たかとはやり過ごせずに,一同ぎくりとなった.
"あ,あんたの書いたカルテなあ,あれは読んでも何にもわからないんだよお!! それよりも看護記録の方がよっぽどよくわかるんだよお!! 患者の 様子がよくわかる上に字も丁寧で読みやすいじゃねえか!!.同じ職場で同じ患者を診ていて,どうしてこうも違うんだよお!! ましてやなあ,あ,あんたは 主治医で,看護婦よりも責任が重くて,看護婦よりも患者のことを良く知っていて,おまけに看護婦よりも給料が高いんだろお?!.なのに看護記録の方が読み やすいってのは,給料泥棒じゃないんか,ああ?!"
沖中重雄の一番弟子が最も忠実に師匠から受け継いだものが,この癇癪だった.入局して5年,慣れっこになっている主治医は冷静に考えた."教授の外 来カルテは院内一読みにくいので有名ですよ"という反論は,誰もが納得することではあったが,還暦を迎えた赤ん坊を余計に騒がしくするだけなので却下し た.もう一つの選択は,"私の給料は看護婦よりも安いです"と厳然たる事実を突きつけることだったが,それこそ院内の盗難事件の犯人にされかねないなの で,思いとどまったという.
紹介状に略号を使ってはならない
紹介状では病名,検査,薬の名前などで,英文の略名は絶対に使ってはいけない.自分のわからない略号が書いてある手紙を受け取ったときの不愉快な気分を考 えてもみたまえ.それだけでも紹介患者をまともに診療する気力が失せてしまうことは容易に想像できるだろう.あなたがいつも当たり前だと思っている略語 を,他科の医者も理解すると考えるのは,間違っている.この間違いは相談する医師にとんでもない負担をかけ,連絡の障害を引き起こす.
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処方箋は日本語で書くべし
処方箋の薬の名前を横文字で書く馬鹿がいる.大抵綴りはでたらめだ.その上,ひどく字が読みにくいときてる.こういう奴からは医師免許を取り上げなくては ならない.そもそも,日本の会社が日本人に処方されるために名付けた薬にどうしてローマ字の名前が必要なのか?処方箋という大切な書類では,読み違い,書 き間違いの危険性を少なくなくするためにはあらゆる努力を払わなくてはならない.日本人同士の意思伝達には,正しい日本語が一番ふさわしい.
カルテは公文書である(あるいはあなたは松坂大輔である)
カルテは公文書である.公文書は他人に読んでもらうために書く.その内容はテレビで全国放送されてもいいように書かなければならない.カルテをそのように 書くように心がければ,日常診療そのものも,全国放送されてもいいようにと心がけるだろう.あなたの一挙一動が松坂大輔と同じように注目されるなんて,な んて素晴らしいことなのだろう.
忙しいときほどカルテを書くこと
"僕は忙しい時ほどカルテを書くことにしているんだ.書いておかないと忘れちゃうからね"
これは私が鹿教湯病院に勤めていたときの師,宮坂元麻呂先生の言葉である.病棟での回診の時,さりげなく,決して説教じみた調子ではなく,独り言のように 言われた.私が今まで臨床をやっていられるのは,この言葉のおかげである.
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診る,聞く
Script Concordance Test
東京医大総合診療科での医学教育ミーティングで教えて頂いた.
The Script Concordance Test: A Tool to Assess the Reflective Clinician. Teaching and Learning in Medicine 2000, Vol. 12, No. 4, Pages 189-195
Script Concordance Testとは,臨床場面での思考力,判断力のテストの一つ.その特徴は,これまでの試験と異なり,より臨床場面での思考に即して,専門家が,どんな情報を元にどう考えるかを言語化し,その思考の道筋を辿れるようにした点だろう.条件設定が複数であり,しかも不確定要素が含まれているので,回答者が自分で可能性を列挙しつつ,思考を重ねるように工夫されている.
具体的に鑑別診断分野を例に取ると,簡単なシナリオが提示され,そのシナリオを読んで,複数の診断名の間で,複数の追加情報が得られた場合,それらの追加情報が加わった場合,各疾患の可能性をどの程度"配分"するか,その配分の仕方も,白黒のデジタルではなく,5段階ほどのスケールの中で,どう配分するかという回答を要求される.
この形式で,検査や治療の分野でも問題が設定される.
我々自身の頭の中がどうなっているのかを解明するのにも役立つだろう.
面接の社会科:医療面接の社会的要素
従来の臨床教育は,医療面接においても,生物学的な診断をつけることに力を入れてきた.しかし,患者さんが困っている問題は,しばしば生物学的な診 断とは別のところにある.医療面接では,診断がつくかどうかなんてどうでもいい時さえある.いや,むしろそういう状況の時の方が多いかもしれない.
医療面接の目的は,患者さんに納得してもらうことだ.診断がつくことは,納得してもらうための数ある必要条件の一つに過ぎない.数ある必要条件の中 で,診断をつけることが優先順位で最下位になることだってある.決して忘れてはならないのは,数ある必要条件の中の一つに過ぎないものを,十分条件と勘違 いしないことだ.特に外来診療のような限られた時間の中では,目の前の患者さんの診断をつけることと,それ以外のことに,それぞれどの程度の力を注ぐの か,面接の冒頭にあたりをつけなければならない.
先日,ある道場で,めまいの患者さんを診察する機会があった.患者さんを前にして,私はろくろく診察せずに,もっぱら本人と娘さんからお話を聞い た.めまいというと,普通は躍起になって原因診断をする.しかし,これはもちろん,前立ちの学生さん達の面接,診察が素晴らしくて,生物学的な診断という 点では,私がやるべきことが何もなくなってしまったことにもよるのだが,患者さんが何を不安に思っているか,主訴は"めまい"としても,そのめまいをどう 考えて,何を心配しているのか,実際の生活面ではどういう問題が起こっているかに思いを馳せてもらいたかったという理由もあった.
患者さんが診察室に入ってきたとき,皆さんは何に注目したでしょうか.私は娘さん(と思われた女性)の存在です.私は次のように考えました.上品な 母娘.心配そうに寄り添う娘にとって患者さんは,きっと特別な存在だろう.脳卒中で倒れて寝たきりになったり死んでしまったりすることを,患者さん以上に 娘さんが心配しているのではないだろうか.この母娘は同居しているのだろうか.患者さんの夫(娘さんの父親)は健在だろうか.娘さんは所帯を持っているだ ろうか.もし所帯を持っているとしたら,夫は義理の母のことをどう思っているだろうか.娘さんと夫の間に患者さんを巡っての葛藤はないだろうか.
そういった社会的な大問題の数々が次々を浮かんできて,時間は限られているから,こりゃ,めまいの診断はそこそこにして,社会的な問題をチェックし なければ.そのためには,患者さん本人よりも,娘さんとの面接が大切だな,と思ったわけです.
どうかみなさん,生物学的な側面と社会的な側面を同時にに考えるのは大変だと思わず,両方とも考えられるんだ,両方考えると患者さんへの理解がより 深まるとポジティブに考えてください.自分は生物学的な面は苦手だけれど,社会的な面の考察なら得意だと考えてもいいですし,生物学的な面は,誰にでも教 えてもらえるし,自分で勉強もできるけど,社会的な面は今,ここで,この患者さんでしか勉強できないと思うと必死で面接することになります.
誤診の形成過程
誤診の形成過程は非常に興味深い問題だ。従来の検討では、正しい診断は以外はすべて誤診と十把一絡げか、あるいは、結果として正しい診断にどのくらい近い かという観点からだけで分類して議論されることがほとんどだった。私が興味があるのは、そんなことではなくて、
1.診断が違っていた場合、正しい診断が、いつの時点でどのように除外されたか、あるいははじめから頭に浮かばなかったのはなぜか。は、もちろんの こと
2.(当たりはずれ関係なく)最終診断にたどり着くまでの過程で、どのようにして診断リスクの低減が図られているか、例えば、見逃してはいけない疾 患を早期に除外しようとしているかといった問題だ。
3.また、誤診を論じる時、人間の頭の中身に議論が集中しがちだが、その場面も合わせて議論する必要がある。たとえば、プライマリケア場面で、CT がなければ、くも膜下出血を見落とす確率は低いけれど、CTを撮影することによって、CTには映らない軽度のくも膜下出血や,くも膜下出血類似で,CT上 で異常所見のない疾患(脳静脈洞血栓症,脳動脈解離など)を見落とすリスクが高くなるといった具合だ。
腱反射:呪縛からの脱却
反射について,とくに研修医,学生さんはみなさん,心配するところですが,今のところは,忘れてください.神経内科医が偉そうに,亢進だ,減弱だといって も,表面上は感心した様子を見せて,心の中では無視してください.その理由は次の通りです.
1.亢進,正常,減弱について,誰もが納得できるような客観的基準はありません.みんな"だいたいこんなもん"という感覚でやっています.
2.腱反射を見ないと診断できない病気など,この世の中に一 つもありません.実際の臨床現場では,それよりも,病歴や視診の方がはるかに重要です.プロの神経内科医は,病歴で 8割,病歴と視診で9割5分,病歴と視診と触診で10割の診断を決めます.腱反射一つで診断がひっくり返るような診断は,診断そのもの,病歴の取り方,診 察の仕方,すべてが間違っているのです.
3.したがって,ハンマーの存在意義はただ一つ.神経内科医 が偉そうな顔をするための道具に過ぎません.
医者にとっての家族の診断
Uses of Errorといって,紙面の穴埋め用コラムなんだが,とにもかくにもランセットなので→M Ikeda. Family bias by proxy. Lancet 2005; 365: 187
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"筋萎縮性側索硬化症"この診断を前にして,神経内科医は,放射線科医にも,臨床検査医にも,病理医にも責任を押し付けることができない.一人で覚悟を決 める.しかし,その時,私は決められなかった.
外来で診察したのは,67歳の女性.ここ数ヶ月で進行する上肢の筋萎縮と筋力低下が主訴だった.嚥下障害と構音障害があったが,感覚系には異常な し.腱反射は瀰慢性に亢進し,両側バビンスキ徴候が陽性だった.この場合,学生だってALSの診断をつけるだろう,そう思ってはみたものの,その時,すで に神経内科医13年目だった私は,どうしてもALSの診断を下せなかった.
→この続きは下の英文を読んでね.わかりやすい名文です.
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Family bias by proxy
雪形は、どのように
A definite diagnosis of amyotrophic lateral sclerosis (ALS) usually makes a neurologist determined never to leave the helpless person but I once ran away from such a patient. A 67-years old woman sat in front of me. The chief complaint was progressive weakness in the upper extremities. She had mild dysarthria and dysphagia without any sensory impairment. Deep tendon reflexes were diffusely exaggerated with a bilateral Babinski sign. Typical history and neurological findings should have established a diagnosis of ALS but I could not help feeling increasing uncertainty about my diagnosis.
If she were just like one of the patients with typical ALS I had seen many times, I would have been completely confident with the diagnosis, but she was not. Her son, an otolaryngologist, sitting with his mother in the office, was my best friend. He had been my best partner in our tennis team at medical school. We had played many exciting games but we knew that this was absolutely not a game. I did not want to believe that she had contracted a most tragic disease, whose prevalence is only one in 30,000. Desperately seeking a diagnosis other than ALS in vain, I felt myself just a sympathetic middle-aged man, really unfit to be a neurologist. To hand the patient over, I called one of my colleagues, who asked me, after a confident diagnosis, why I could not draw a definite conclusion in such a typical case.
We in the medical profession are often told that we should not treat our own family members because we cannot remain detached enough for a proper diagnosis and treatment. For physicians inclined to be overly sympathetic as I was in this case, the list of the "family" members must be more widely inclusive.
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心筋梗塞は胸痛では来ない
吹田医師会理事の三谷一裕先生は,心筋梗塞患者は胸痛を訴えると思っていると,ほとんどの心筋梗塞を見逃すだろうとおっしゃっている.三谷先生の御師匠さ んの沢山俊民先生が調べてみたら次のような結果だった.150人の初発心筋梗塞患者が対象で、発症時症状は心臓と思った人と、呼吸器(胸の異常)と思った 人と、消化器(とくに胃病)と思った人がそれぞれほぼ25%づつ、あとの25%は何が起こったのかかいもく検討がつかない、という結果でした。
「患者から学ぶ循環器疾患の落とし穴」(日本医学出版、2000)より。
己れ違(タガ)ふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。(徒然草 第百四十三段)
直接自分で患者さんの話を聞き,診た医者だけを,患者さんは守ってくれる.患者さんを守るということは,あなた自身を守るということに他ならない.だか ら,自分が可愛かったら,自分で話を聞き,自分で診察するこった.
病歴に科学を,教育に病歴を
数十分の診察室の中で取れる所見は、限られていますが、毎日の(何日、何ヶ月という時間の流れの中の)日常生活の中で現れてくる症状はもっと もっと多くのことを教えてくれる (高橋秀明)
あるメーリングリストの書き込みで,非突発性の頭痛のくも膜下出血の診断で,患者さんの"辛そうな表情"がCTに踏み切るきっかけになったとのコメ ントがあった.これに対しての私の書き込みである.
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Y先生の書き込みでは,"辛そうな表情"表現が3回も同じ表現が出てきました.それだけ重要だからです.表情というのは,言葉にならない訴えですか ら,身体所見というよりも,訴え・病歴です.その病歴が,非常に重要な決断に結びついている.そして,T先生がそれに共感して
>この、"辛そうな表情"を読む必要があるのですね〜。!!しかし、すばらしい。!!!
と,おっしゃるわけです.このやりとりは,一部の"通"(つう)同士のやりとりではありません.まっとうな臨床をやっているこのMLのメンバーな ら,誰もが共感できることであります.つまり,"辛そうな表情"を読むというのは,決して一部の職人さんだけしかできない特殊な技能ではないし,また特殊 な技能にしてはいけない.
"辛そうな表情"というのは,あいまいなようでいて,実は非常にはっきりしたものです.定量化はできないけれど,定性という面では非常にはっきりし ている.笑い,怒り,恐怖,不安といった感情の表出は,誰にでも簡単にわかるようにできているのです.何しろ言葉さえ必要ないのだから.
"誰にでも簡単にわかる"ものならば,十分科学に耐えると思うのです.知識や技術を一部のサロンの専有物にせず,誰にでも理解できて,その恩恵があ まねく行き渡るようにする.それが科学です.だから"病歴に科学を"
病歴に科学をという私の主張をわかっていただくために,もう二つ例を示します.
その1.
ある中年男性が腹痛で救急外来を受診したとします.病歴と身体所見で尿路結石を疑って患者さんが採尿で席をはずした時に,付き添ってきた奥さんが心配そう な顔をして,"ふだんは医者ぎらいで,風邪で寝込むようなことがあっても,絶対に医者には来ない人なんです"ってあなたに囁いたとしますね.
その一言だけで,あなたの頭の中の警報閾値はぐんと下がって,たとえ尿潜血が陰性でも(陰性だからこそ?),"こりゃ,うっかり家には帰せないな" と思うわけです.診療録は,刑事コロンボの台本ではないので,奥さんの言葉を書く義務はないでしょう.しかし,この奥さんの一言が,経験を積んだ臨床医の 決断に重大な影響を及ぼすのです.
その2.
あなたは夜中の1時に起こされた.カラオケで歌っている最中に頭が痛くなったと言って,酔っぱらった中年の男性が,救急外来に来院した.しかし,あなたは 決して怒ってはならない.誰がカラオケで楽しんでいるのを中止して病院に好んで来たりするものか.くも膜下出血に決まってるじゃないか.("病歴から学ぶ神経内科" より)
この場合は,頭痛という病歴に加えて,"カラオケで楽しい思いをしていたのに,その楽しい思いを中断してまで病院に来た"という病歴と,"酔っぱら いが来て,(自分が)怒ったら,それ即ち負け戦"という戦陣訓だけで,診断をほぼ決め打ちしてしまうわけです.
このように,実際の臨床場面では,しばしば伝票の数字よりも病歴が重要で,上記ように,病歴に依存する決断と行動が,多くの患者さんの命を救ってい るのです.お素人さんはそんないい加減な,と言うかも知れませんが,臨床を少しでも知っている方々には紛れもない事実.
もちろん,空振りの場合もあるでしょう.でも検査にだって,偽陰性・偽陽性はある.血を採って,高い機械を動かした挙げ句の空振りよりはずっとま し.
このように大切な病歴なのだから,みなさんの頭の中だけに留めておくべきではないのです.系統的に整理して,多くの人が共有できる科学にすべきで す.そして,より早い時期から,学生の時から学ぶべきです.そのためには,学ぶ仕組み,環境を整えなくてはいけません.病歴の科学を,教育の柱とすべきな のです.だから,"教育に病歴を"
そうすれば,医者修行の早い時期から,より多くの患者さんを救うことができる.患者を診ろ,話を聞けという教えは道徳ではありません.根拠があるか らそこ,科学だからこそ,繰り返し強調されるのです.
なのに,少なくとも私は,自分の視線がカルテの伝票の数字に向く時間を減らし,患者さんの方に向く時間を増やすまでに,大変な回り道をし続けてきま した.今も回り道の最中です.というのは,日々,病歴や身体所見の大切さに気付くからです.自分一人が回り道するのならそれでいいのですが,その間に多く の患者さんに,病歴や身体所見の大切さにもっと早く気付けば避けられたであろう苦しみを,余計に与えてきたのです.
上記の,奥さんの一言の部分に,思わず,"経験を積んだ臨床医"と書いてしまいましたが,経験を積むということは,患者さんの苦痛の犠牲の上に立っ て学んできたということです.本当は,経験を積まなくても,わかるようにしなければいけない.
これまでのように,病歴の科学が秘事口伝のままに留まれば,多くの人が,本来は受けるべきではない苦痛を受け,命の危険にさらされ続けることにな る.だから私のような回り道を若い人にさせるべきではないのです.職人芸,芸術と勝手に気取ってはいけないのです.先人の知恵を集積し,体系立てることが 科学です.それがEBMです.
病歴の科学は,EBMが最も威力を発揮すべき分野のはずなのに,現実にはEBMの応用が最も遅れている.裏から言えば,仕事がごろごろ転がっている ということです.
そして,大切なこと.病歴の科学には,お金が要りません.インフォームドコンセントも,採血も要りません.これから,医療資源がどんどん少なくなっ ていくこの国でも,やること,やらなければならないことがいっぱいあるのです.
病歴のケーススタディとその集積(EBM時代にこそ症例報告が重要であるという見解の根拠も,実はここにある.病歴のmeta analysisなんて手もあります),病歴の臨床研究(スコア化,ROC, 尤度比の検討),臨床決断学へ病歴の科学を取り入れること,認知心理学や行動心理学の応用・・・・
こう書くと,大変なことのように思えますが,立派な実例があります.精神科のDSM (Diagnostic and Statistical Manunal of Mental Disorders)です.ほとんど病歴だけで診断を決めるのです.病歴しか手がかりがないもんだから,そうなっちゃったというわけなんですが,Gold Standardがない精神科診断でも強引にやっちゃうん(精神科の先生方ごめんなさい)ですから,Gold Standardがある身体疾患で,病歴のEBMができないなずがないのです.やらなくちゃならない.2002年7月のランセットでは,大腸癌の精査を行 うための問診のスコア化の検討をして有効だったことを認める論文が出ています.こういう研究,地味ですけど大事ですよ.
S N Selvachandran and others. Prediction of colorectal cancer by a patient consultation questionnaire and scoring system: a prospective study. Lancet 2002;360:278-83
アイルランドは民話の採取,保存を国家プロジェクトとして立案,実行しているそうです.ある日本人が,なぜそのような地道な事業が国家プロジェクト になるのか,理由を尋ねたところ,
"アイルランドは貧しい国で,これといった財産がありません.数少ない宝の一つが民話です.貧しい国にふさわしい宝を,貧しい国にふさわしく,お金 をかけず守ろうとしただけです"
民話でさえ,採取,保存が国家プロジェクトになるのです.ましていわんや人の命を左右する病歴に於いてをや.
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飲む,食べる
酒と意識障害:救急外来で酔っ払いを診る羽目になっても,怒ったら負けである.臨床の神様からの資格試験と思い,ニヤッと笑って周囲のス タッフに余裕を見せよう.大酒家の意識障害の原因は,たくさんある.決して,ただの酔っ払いと片付けないで,丹念に除外診断する.慢性硬膜下血腫,ウェル ニッケ脳症,肝性脳症,低ナトリウム血症.アルコール性低血糖.これらを全て除外して安心したと思ったら,十二指腸が穿孔していたりするから,ほんと酒飲 みは油断がならない.
ワーファリン服用中に注意すべき食べ物(ビタミンKを多く含む)
納豆はだめ,ブロッコリ,ほうれん草,キャベツは大食しなければいい.
グレープフルーツジュースを飲むと血中濃度が上がる薬→参考ページ
カルシウム拮抗薬,シクロスポリン,タクロリムス(商品名プログラフ),テルフェナジン(商品名トリルダン)
グレープフルーツに含まれている成分が小腸のシトクロームP450のあるサブタイプ (CYP3A4)を阻害するためである.その他の柑橘類は関係ない.
急患が入ると連絡を受けたら:
まず,飯を食う.腹が減っては戦はできぬ.通常の時間帯とずれていてもかまわない.とにかく腹に何かを入れておく.そして排便排尿を済ませておく.急患が 来ないうちに前評判に右往左往してはならない.実際に来て診察しないと本当のところはわからないし,余計な先入観は誤診の元だ.来る前にただ一つ確実なの は,急患が来た後は飯の時間はおろか,トイレに行く時間もなくなってしまうということだけだ.
手技
経鼻胃管と検尿試験紙:さすがにリトマス試験紙は使わない(というか,小学校にはあっても院 内にはない)だろうが,検尿のpH試験紙はどうなのだろうか.どのくらいの信頼性があるのか.胸部レ線をgold standardとして,感度・特異度を検証したら,BMJに論文が載るよ.この英文の警告を読めば,それで英文はすぐ書けるから,原稿を書くのもらくち んだ.
■ 経 腸栄養チューブ(鼻腔栄養)に関するMedical Device Alert(MDA/2004/026)
胃における経腸栄養チューブの位置を確認するための吸引液の検査に青色リトマス試
験紙を用いた場合に,経腸栄養チューブの位置異常が検知されない可能性がある。青
色リトマス試験紙は酸性pHの胃液と他の体液(特に気管分泌液)を区別できない可能
性があること,MHRAは死亡した患者1例の報告を受け,懸念していること,経腸栄養
チューブの位置を確認するために青色リトマス試験紙を使用しないこと,適切な範囲
のpHインジケーター(試験紙/ストリップ)を使用し使用方法に従うことなどについ
て記載(2004年6月14日付け)
挿管:秋田大学第三内科 今井裕一先生の,内科専門医メーリングリストへの書き込みから
挿管に関しては,研修医時代に麻酔科で 全身麻酔を50例ほど行いましたのでいつでもできるはずです.ただし,そのときに教わったことは 麻酔科の先生は今でも尊敬していますが,「挿管するよりマスク・バッグでの換気が重要なのだ」 ということで,人工呼吸器に接続させず自分の手で手ごたえをマスターするように 指導されました.「挿管に失敗したらどうしたらいいのですか?」 と言う質問に対しても「マスク・バッグでの換気ができれば,挿管を何回でもトライできます.あせる必要はありません」と目からうろこが落ちるような説明で した.
綿球の大きさ
気管カニューレ交換時の消毒用の綿球は,なるべくでかいのにしてくれ.小さいのだと,切開口から気管に落ちたら一発でアウトだからな.→しかし,下記に紹 介した夏井先生のホームページを 読んでからは,期間カニューレ交換時の消毒はまったくやらなくなった.それでも切開口の状態はすこぶる良好である.
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採血時の酒精綿
採血の前に穿刺部位をアルコール綿で消毒する儀式がある.その際,アルコールが乾いてから針を刺すこと.乾く前に針を刺すと,アルコールが血管内に染み出 て,穿刺痛とは別の血管痛を起こしてしまい,採血が終わっても痛みが引かない.
石川経子先生からは,次のようなご指摘をいただいた
「採血の酒精綿」という話題で「アルコールが乾いてから針を刺すこと.」という のがありましたが、まったく同感です。ただし理由は、私の場合ちょっと違います。
学生の時細菌学の実験に、"手指で寒天培地に触れて、それを培養する"、という のがありました。
1、乾いた手指そのまま
2、酒精綿で拭いて、乾く前に触ったもの
3、酒精綿で拭いて、完全に乾いてから触ったもの
結果は…、そうご想像通り。3しか、細菌の培養を抑制出来ませんでした。1、2 共、同様に差異無く細菌が培養され、ショックを受けたものです。 以来、肝に命じてアルコールが完全に乾くまで(我慢して)、針を刺さない様にし ていますし、また若いDr.や看護婦さんにそうお願いしています。
一方,皮下注射の際に,酒精綿と蒸留水綿を比較した研究が あって,その間には感染や,発赤などの皮膚反応で,有意差がなかったという.
新しい創傷治療
と思ったら,採血時の酒精綿どころか,「消毒とガーゼ」撲滅宣言の ページを見つけた.著者の夏井先生は,消毒は毒,傷は水道水で洗え,傷をガーゼで覆ってはいけない,傷は乾かしてはいけない,と,新興宗教のように思える 主張をなさっているが,これはすべて,理詰め,実践的なお話である.要点は,至極基本的なことである,
(1)創の洗浄:水道水でよい.
(2)消毒薬は使わない
(3)創の湿潤を保つ
(4)創の治癒あるいは癒合面をはがすような行為の
ガーゼ添付は止めよう.
医者たるもの,いや,医者でなくても,傷の手当てに関わる者,すべからく,このページで勉強し,今日から,夏井先生の教えを実践すべし.
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ネットでお勉強: お手軽なお薦めサイト集
医学の歩き方,薬の添付文書,胸部レントゲン読影室,救急治療室,新しい創傷治療(上記の夏井先生のホームペー ジ)
Radiology Teaching Files
頚椎XP
胸部XP Teaching File:シルエット徴候とは何か
舌区(S5)の無気肺1:32歳の女性.左側胸部痛で来院.PA像では心陰影左縁のシルエットが消失している.側面像も参考に.
舌区(S5)の無気肺2:39歳女性.慢性の咳で胸部写真をとった.健診時の写真と比較すると,今回の写真で は心陰影の左縁が見えなくなっている.胸部CTでは,心陰影の左縁に接して無気肺と思われる病変が確認される(肺野条件,縦隔条件)
基礎疾患のない若い健常女性に,このような舌区の無気肺を立て続けに二例経験したので,不思議に思って内科専門医のメーリングリストに投稿したとこ ろ,神戸逓信病院内科(呼吸器) 富井啓介先生(内科専門医)からコメントをいただいた:
このような症例は割とよく遭遇するもので、中葉舌区症候群と呼ばれていることが多く,頻度としては女性が圧倒的に多いと思います。
正面像ではシルエットのため左右の心陰影が追いにくくなっていることでみつけるしかありませんが、側面像では無気肺の状態が割りと良く見えます。無 気肺が改善しても、中葉もしくは舌区の容積がもともと小さいことが特徴です。CTでみると胸壁と心臓にはさまれて、いかにも窮屈そうになっているのが分か ると思います。
成因は肺門リンパ節腫大のためとか言われていたこともありますが、もともと中葉舌区は構造的に虚脱しやすい(胸膜に覆われている部分が相対的に多く側副換 気ができにくい、心臓の拍動の影響を受ける)あるいは気管支が細くて長い、などが影響していると思います。肺炎を伴っている場合もありますが、まったく炎 症所見も何もないことも多いです。また血痰を伴ったりするいわゆるdry typeの気管支拡張を伴うこともあります。まれには気管支結核だったり、非定型抗酸菌症だったりすることもあるので、先生のように誘発喀痰まで試みられ るのは、大事なことだと思います。また一度気管支鏡を考えてみても良いかもしれません。
このように内科専門医のメーリングリストでは,一流のスペシャリストからすぐに適切なコメントがもらえます.それだけでも,内科専門医の資格をと る意義があります.みなさんも,内科専門医目指して研修に励んでください.
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中葉病変:右下肺野に病変がある時,それが中葉にあるのか下葉にあるのかどう やって見極めたらよいのだろう.そのためには,心陰影の右縁と右横隔膜に注目する.心陰影の右縁は前にあり,右横隔膜は右下葉と接するから,中葉病変では 心陰影右縁のシルエットが消失し,右下葉病変では右横隔膜のシルエットが消失する.この写真では,右横隔膜はよく見えているが,心陰影右縁は病変と区別で きなくなっている(シルエットは消失している)から,中葉の病変とわかる.(CTで確認)この肺炎が良くなった写真では,心陰影の右縁がはっきりしているから,比較すると良い.
検査のtips
HbA1c
船橋市立医療センター 内科 岩岡秀明先生から教えていただいた
HbA1cと平均血糖値との相関関係
A1c (%) Mean plasma glucose(mg/dl )
6 135
7 170
8 205
9 240
10 275
11 310
12 345
米国における1型糖尿病の大規模スタディ(DCCT)の結果に基づいたデータ
原著論文
Rohlfing CL et al. Diabetes Care 2002; 25: 275-278.
1441例の1型糖尿病患者(13歳から39歳)の6.5年間の検査結果(37058の検査データ)
この換算表は、ADA(アメリカ糖尿病協会)の診療ガイドライン2004にも
明記されています。
Clinical Practice Recommendations 2004 http://care.diabetesjournals.org/content/vol27/suppl_1/
Standards of Medical Care in Diabetes http://care.diabetesjournals.org/cgi/content/full/27/suppl_1/s15#SEC4
この項のTable 7に掲載されています。
なお、DCCTにおける標準化HbA1c(ADAのガイドラインでの値)は、日本の標準化されたHbA1cの値よりも、0..3%程高い値となって いますので、その
点は注意が必要ですね。
また、体温との比喩も有用ですね。(6.5%以下=36.5℃以下が平熱、と比喩で覚える。7%台は微熱。8%台は中等度の発熱。9%以上は高 熱。)
薬
TPN (IVH)の際の微量元素:摂食障害をやっている精神科のお医者さんから質問があった.長期 の静脈栄養の患者さんの微量元素の補給に関する質問だった.
微量元素の補給に関しては,出来合の市販品を使う場合,欠乏のことを心配する必要はまずありません.ただ,一つ,セレンだけは問題です.セレン自体 は連続投与で簡単に毒性が出るので,市販品に含ませることができないのだと思います.ただ,一年を越えるような中心静脈栄養になるとセレン欠乏が顕在化す る場合がまれにあります.心筋,横紋筋の障害が前景に出てCPKが上昇します.そのようなケースがありましたら,改めてご相談下さい.
微量元素の補給で問題となるのは,むしろ過剰症です,意外に思われるかもしれませんが,ミネラリンを一日1バイアルと義理堅くやっていますご,マン ガン過剰でパーキンソニスムになったり,鉄が過剰でヘモクロマトーシスになったりします.微量元素の必要性が広く認識された現在では,むしろ医原性の過剰 症の方に気をつけなくてはなりません.特に長期にわたって静脈栄養をしている患者さんは,肝臓をはじめとして体内の代謝動態が経口摂取の場合と随分異なっ てしまっていると考えられます.このような場合,微量元素をどのように補充していくかは,まだまだ手探りの部分が多いと思われます.
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眠られぬ夜のために:夜中に電話がかかってくる."先生,池田さんが39度の熱発 で・・".肺炎の診断がすでについている80歳の患者である."いいの,いいの,熱が出るのは生きている証拠,元気な証拠.冷やすだけでいいから""で も,熱を放って置いていいんですか,座薬の指示をもらえないんですか""いいの,いいの.冷やすだけでいいから,ボルタレンなんか入れたら,こっちが冷や 汗をかく羽目になるからね,じゃあ,お休み"
ふだんから,安易に解熱剤を要求しないように,看護婦にもきちんと下記のような常識を伝えておきましょうね.そして,お医者さんは一歩進んで,"発 熱に対して抗菌薬を使わない"(青木 眞著.レジデントのための感染症診療マニュアル)ことを座右の銘にいたしましょう.
リチウムの物理的性質は何ですか
解熱剤見直しの提案:解熱目的のボルタレン,インダシンの使用を中止し,アセトアミノフェンの座 薬に切り替えましょう. また,百害あって一理無しのスルピリン(商品名メチロン)の注射は全廃にしましょう.
なぜなら,ショックをはじめとする非ステロイド系消炎剤の重篤な副作用を考えると,強力な鎮痛効果を期待する場合は別として,単に解熱の目的で使用 するのは,利益が少ない割にはあまりにも危険が大きいからです.ロシアンルーレットにも似ています.
ショック,消化性潰瘍,急性間質性腎炎,喘息といった非ステロイド系消炎剤の副作用はよく知られています.副作用の確率が特別に高いわけではありま せんが,非ステロイド系消炎剤は使われる頻度が高いだけに,診療上無視できません.とくに,"たかが風邪薬"で重症となってしまうことが大きな問題なので す.
例えば,喘息の既往がある患者の感冒に対して,非ステロイド系消炎剤を安易に投与して喘息を重症化させれば,裁判で必ず負ける時代になっています. (医療過誤事件症例報告集第二集 pp25-26,同第三集 pp15-16,pp32-33,同第四集pp34-35)そんな時代に,敢えて解熱だけのために危険を冒す必要性は全くないのです.また,インフルエン ザの際に解熱剤として非ステロイド系消炎剤を使うと,アセトアミノフェンを使った場合に比べて,脳炎,脳症による死亡率が高くなる可能性が示唆されていま す.
メチロン(スルピリン)の注射に至っては論外です.スルピリンは,1965年に死亡事故が多発し(死亡者は計38人),大きな社会問題になっ たアンプル入りの風邪薬の主成分なのです.
すでに当時の中央薬事審議会は、「アンプル剤は錠剤、粉末に比べて吸収速度が極めて早いため血中濃度が急速に高値に達しその毒性の発現が著しく強 い」と説明しています。アンプル剤よりも更に血中濃度が急速に上がる注射が,アンプル入りの風邪薬事件以後35年もたった今,なぜ一部の病院内で行 われているのでしょう?
厚生省が認可している薬だから使ってもいいという論理は,医師自らが効果と危険性を判断して処方するという基本的態度の放棄するものです.その厚生 省は,医薬品副作用情報No.33, No.121と繰り返しスルピリン注射薬の危険性について警告しています.この警告を無視してもなおメチロンの筋注を行う医師を,厚生省は決して守っては くれないでしょう.また,メディアでも解熱剤の注射によるショック死が取り上げられています.
事故が起こらないうちに,解熱目的のボルタレン,インダシン座薬とメチロンの注射はやめることを提案します.少なくとも,メチロンの注射薬 は,誰も使えないように,薬局から引き上げてしまう必要があります.一方で,熱に対する看護婦の教育も必要です.上にあるようなインターネットの ページも利用して,単なる解熱剤としての非ステロイド系消炎剤の使用は直ちに止めるよう,あなたの病院でも啓蒙を始めて下さい.
抗生物質とけいれん・てんかん発作:
1.セフェム系の抗生物質は,それ自体,抑制性の神経伝達物質であるGABAに拮抗してけいれん発作を起こすことがあります.特に排泄臓器である腎臓に機 能障害がある時に血中濃度が上昇し,けいれん発作がおきやすくなります.
2.イミペネム(商品名チエナム):チエナムはそれ自体,けいれん発作を起こします.その機序は上記セフェム系と同様の機序が一つ.もう一つはデパ ケンとの関係です.皆様はチエナムとデパケンの併用が禁忌であることをご存知だったでしょうか?これは、チエナムに代表されるカルバペネム系抗生物質が、 肝臓でのバルプロ酸のグルクロナイド抱合代謝を促進するため、デパケンの血中濃度が急速に低下し、てんかん発作を誘発することがあるからだそうです。
3.ニューキノロン系の抗生物質は非ステロイド系の消炎剤と併用すると,やはりけいれん発作を起こすことがあります.
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お説教
教育&生物学的以外の要素
ある、非常に勉強熱心な救急医の方から受けた質問とそのお返事です。何かの御参考になればと思いまして。
1.学生教育について
時々、学生に教育することがあるのですが、正直、患者に接していない学生にどのように教えたらいいか分かりません。先生も言っておられましたが、プロに教えるのは簡単。アマチュアにいかに教えるかが大切。スキーに例えられていたように、学生は、恐らくスタート時に、旗門が全く見えていない状態だと思います。そういった、患者に接していない、彼らに教育する際の、コツなどがありますでしょうか?
2.生物学的診断以外の要素について
先生は、ご講演の中で、一人暮らし、病院嫌いなど、診断以外の要素の重要性について強調されていたように思います。つい先日も、子供の運動会の場所取りをしていた男性の背部痛で、解離だったことがありました。医学的な内容以外のことも、非常に重要だと思うのですが、実際、あまり教科書に書いていませんし、なかなか言語にして伝えにくいのですが、どのように捉えればいいでしょうか
> 1.学生教育について
いわゆる上から目線で:
○何か自分が学生にないものを持っていて
○かつ学生がそれを喜んで受け入れてくれる
という二つの条件が揃ったものを常に、どんな状況でも用意しようと思うから、苦しくなります。そうではなくて、
「学生に助けてもらう・教えてもらう」「自分の愚痴、悩みを聴いてもらう」「学生の愚痴・悩みを聴いてあげる」
> 2.生物学的診断以外の要素について
>実際、あまり教科書に書いていませんし、なかなか言語にして伝えにくいのですが、どのように捉えればいいでしょうか?
方法論:これも上記と関連します。教科書やネットに言語化されて公開されていることは、自習すればよろしい。貴重なオフラインの教育・学習の時間は、生物学的診断以外の要素について「お互いに学び合う」ようにする。
好ましい状況:生物学的診断以外の要素は、生物学的診断以外の要素が豊富な状況で学ぶようにするのが効率がいいことは容易に想像されます。家庭や地域社会はもちろんそうです。職場でも、生物学的診断以外の要素が比較的豊富な状況(病院医事課の人の動き・人間関係、昼食時の食堂でのお客さん達の行動、厨房内の職員の動き、病棟であれば、家族がたむろしている場面での何気ない会話)を活用しますが、それでも病院では限界があります。
一番効率がいいのは、なんと言っても在宅診療です。○○さんは在宅診療経験がありますか?もし未経験でしたら、地域で理解のある開業医さんの在宅診療を是非一度見学してみてください。新しい世界が広がります。
派手な症候学よりも
2006年9月,福岡県の飯塚病院で,"自分の左手がどこにあるかわからない"と訴えた女性の診察で,拇指探し試験で,典型的な陽性所見を示した ところ,珍しかったのだろう,みなさんが驚いていろいろ質問してくれた.そして,病歴と,その他の診察所見とあわせて,診断は多発性硬化症を強く疑い,頚 髄高位左側後索に病変があるだろうと診断した.MRIがないのになぜわかるのかと素朴に驚いていただいたわけだが,私が示したかったのは,珍しい症候でも なく,画像無しで病変を言い当てる名人芸でもなく(実際,神経内科医としては,ありきたりすぎる診断過程を経た結論であって,名人芸でも何でもなかっ た),"自分の左手がどこにあるのかわからない"という,患者さんの特異な訴えだった。この訴えが,問診,診察の出発点だった,
この訴えを聞いて、そんなわけのわからない患者は診たくないと逃げ出す人もいるかもしれない.しかし,拇指探し試験に興味を示す医者は決 して逃げ出さないだろう.そこにあるのは,好奇心に満ちた素朴な疑問である.なぜ、そんな奇妙なことが起こるのか?不思議でたまらない.自分の好奇心を満 足させることが、患者の訴えの背後にある病態、病変を解明し、ひいては,この患者さんの願いに応えることにつながるのなら,神経学という学問も,それほど 忌み嫌って逃げ回るほどでもないのかもしれない.
なぜ放射線科技師は医師を呼ばなかったのか?
カラオケの最中に後頚部が痛くなって救急外来に来院した症例の呈示を受けて:
あなたが呈示してくれた症例についての私のコメント"カラオケの最中に来院した頭痛患者ではくも膜下出血を疑え"というお告げは,以前から私がホーム ページ上で主張しているところです.スライドにもしてあります
ケアネットの番組,第2回 「頭痛の診断にCTは役に立たない?」の中でも,"カラオケの最中に来院した頭痛患者=くも膜下出血"の例に言及しました.
ところで,あなたが呈示してくれた症例で,一つ気になっていたことがあります.明らかなくも膜下出血が画面上に見えながら,なぜ放射線科の技師さん は大騒ぎしなかったのでしょうか?普通は,検査をオーダーした医師に,即座に電話をかけて,"早く見に来い"と医者を呼びつけるものです.このようなコ ミュニケー
ションが成り立たなかったのはなぜでしょうか?どんな障害があったのでしょうか?この障害は是非とも分析しておく必要があります.
医師が地雷を踏まないためには,コメディカルに,"助けてもらう"必要があります.CT上でおかしな病変があった時には,放射線技師に呼び出しても らって一緒にディスプレイを覗き込みながら,その場で画像を解説する.
血清ナトリウムが120だったり,CKが1000だったりしたら,いつでも遠慮なく呼んでねと,普段から臨床検査技師にお願いしておく,呼んでもら えた場合には,原因・病態,どういう検査を次にオーダーするかを一緒に考える.解釈に困る所見があったら,自分の勉強のためにも調べて教えてあげる.→その実例
看護師の教育も然り.注目すべき病歴,身体所見があったら,その意義を一緒に考える.
こうして,謙虚なあなた,コメディカルとのコミュニケーションを良好に保ち,教育に熱心なあなたの評価が高まるばかりでなく,その日々の積み重ねが スタッフの実力の向上につながり,そのスタッフは危険な兆候とそうでない兆候の見分け方がうまくなる.そして,そのスタッフに地雷が埋まっている場所を的 確に捉えてもらって,未然に教えてもらえるのです.これが教育です.これが危機管理です.教育し,危機管理すれば自分が楽になるのです.患者さんによく なってもらうことも,もちろん自分を楽にする大切な手段ですが,コメディカルの教育もまた,自分が楽になる大切な手段です.
神経内科レジデントへの手紙1
神経学的に器質的な疾患がありながら,家庭では,長年の強い葛藤を抱えていたために心因的な症状と神経疾患による症状が混在していて診断が難しかっ た症例についてのやりとりの中で
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池田です.知らせてくれてありがとう.勉強になったね.これまでの医学教育では,人間の生物学的な側面へのアプローチは習うけど,社会的な側面へのアプ ローチは習わないから,若いあなたが社会的な側面へのアプローチを知らなかったとしても,別に恥ずかしいことではありません.僕も,あなたと同じ年齢の時 は全然知りませんでした.
私の場合も,社会的な側面は誰も教えてくれなかったので,診療(+私生活←実はこちらの方がはるかに比重が大きいのですが)を続けて行く中での試行 錯誤でしか学べませんでした.ということは随分失敗もしているのです.
これからの医学教育の中では,少しずつではありますが,社会的な側面へのアプローチも盛り込んでいこう流れが生まれています.1年前,岡山に行った時も,模擬患者さんとのセッションでも外 来面接で,社会的側面にどうアプローチするかという話になりました.
先日も,外来で,脳卒中を心配してMRIを撮ってくれという初診患者さんで,病歴→診察の流れのおしまい近くになって,結構気丈そうな感じだったの ですが,それにしては心気的な匂いが否定できなかったので,"何かストレスになるようなこと思い当たりませんかねえ"と,やんわりと水を向けたら,よよっ となって,ハンドバッグから慌ててハンカチを取り出して,"実は昨年末に主人が癌で亡くなって・・・"
こういう,"面白さ"があるんですよ.患者さんの抱えている問題を探し当てる面白さという点では,生物学的問題も社会的問題も同じですね.この面白 さを精神科だけの専売特許にしておく手はありません.
神経内科医が,患者さんが肺炎になったからといって,安易に呼吸器科に転科させないのと同じように,精神科以外の医者も,社会的側面へのアプローチ を心得ておくと,お得です.社会的側面へのアプローチを学ぶために時間はかかりますが,というより,時間をかけて学ぶべきものです.
件の患者さんの場合には,こちらの持ち時間がありませんし,問題の根が深すぎますので,これ以上介入はできません.そこはすっぱり割り切ることで す.旦那さんが常識を弁えた人だということが救いでしょうか.旦那さんの認容力でそれなりに持っているということなのでしょう.患者さんとその家庭に本来 備わっている治癒力を下手な介入によって損なわない術も心得ておかねばなりません.
尤度比の話(その前に,感度・特異度の4分割表の話をしなくてはなりませんが)や,ROC曲線の話は,再来週,あるいはそれ以降にしましょう.
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下記はまた別の方とのやりとり
> (これは、私の偏見ですが・・・)ただ、本当に脳梗塞かどうかが曖昧で、休めない仕事を休んでま
で今日連れてきたのには理由があるのではないか?と思い直し、知れる限りで話を聞いて、診察をしま
した。
ここですよね.大切なのは."休めない仕事を休んでまで今日連れてきたのには理由があるのではない
か?"行動科学の要素が,診断のプロセスに組み込まれている.従来の医学教育では,生物学的な点だ
けで診察を組み立てようとして,行動科学の視点が欠落している.でも,先生はそれができているのです
免許の意義
免許を持つ意義は、何かが新しくできるようになることではない。だってあなた自身の腕が免許取得の前日と翌日で変化したわけではないのだから。免許を持つ 意義は、その免許を使ってする仕事に対して責任を負うようになることだ。面倒な意義があったものだ。
アナログ性と不確実性
アナログ性と不確実性は臨床を理解する上での重要な鍵である.
臨床を知らない人々は、臨床にデジタル性と確実性を求める。臨床医学が,物理や数学と同じ"理系"(ああ,なんて無茶苦茶な言葉だろう)の学問であって, 数字,指標で判断し,数字,指標で答えが出るものだと思っている.臨床をこのように理解しているのは患者さんばかりではない.医療者側にもたくさんいる, そういう連中が,白か黒か二通りの答えしか持たないものだから,ゼロリスクを求めて, MRSAのcolonizationを排除しようとする。こういう連中はまた,デジタル情報を尊重する。例えば、病棟でも、患者さんの全身状態よりも臨床 検査値を重視した議論をする.こういう連中はしばしば診療の妨げになるので要注意.こういうやつらに限って無視すると興奮したりするから,適当にあしらっ て,診療に悪影響を及ぼさないこと.
ホームページを作るのなら
ある研修医の方から,ホームページのリンクのメールをもらって,その返事に(ちなみにリンク自体に許可は不要なので,無断でどんどんやっていただいて結 構)
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忙しい研修医生活で,サイトを維持していくためには工夫が必要です.最初から気張らず,欲張らず,一つのことから始めて,続けられそうだなと思ったら少し ずつ広げていきましょう.どういう形にするにせよ,その内容は,自分のポートフォリオ,つまり自分はこんな仕事をやってきたと,外部評価のために公開でき るような内容を優先すべきです.命のやり取りの現場にいる医者がホームページを作る目的はただ一つ.自分の仕事や見解を常に公開して,外部からの批判に晒 すことによって仕事の質を維持すること=自分を守ること=患者さんを守ること
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ストレスを避けるこつ
大切なのは,自分が名医ではないと,常に意識すること.というと,あなたは,もとより,自分は名医だと自惚れてはいないと反論するかもしれない.結 構,あなたは自分自身が凡人だと思っているわけだ.
でも,その凡人も名医を目指して,日夜努力していないだろうか?いつも,患者さんのことを考えていないだろうか?自分の昼飯を4時に食べるような忙 しい外来でも,どの患者さんの訴えにも丁寧に耳を傾けていないだろうか?
意地悪をしないで,もう少しわかりやすい言い方にしてあげよう.優等生を演じきろうとしていないだろうか?
これまで,あなたはそんな大層な人間だったろうか?もっともっと俗な人物だったのではないだろうか?そんな人間が,医者になった途端,名医になれる のだろうか?無理な話だ.凡人は身の程を知るがいい.
名医を目指すなと言っているのではない.でも,24時間,365日,名医を意識して,結果的に名医になった例にお目にかかったことがない.凡人が, 24時間,365日,名医を意識すれば,名医のはるか手前で破綻するに決まっている.だったら,凡人であるあなたの意識の底にある名医シナリオから離れる 時間を持とう.
お素人さん向け
下記は,実はお素人さん向けに書いたものなのだが,みなさんも,お素人さんに相 対する時,下記のように答えると洒落ていて,一目置かれるようになるだろうから,ご参考までに.
> 実は、知り合いにその病気にかかっている人がいます。1度だけ
> 病名を聞いた事があるのですが、大分前の事で忘れてしまったのです。
> 最近になって「もっと、その病気についての知識を持とう」と思いインター
> ネットで調べ始めたのです。
> 本人に聞けばすぐに分かる事かもしれませんが、それには少し気が
> 退けるので、この機会に池田先生にお伺いさせて頂きました。
医者は,病ではなく人を診なくてはいけないと教育されます.病気そのものではなく,その病気を持って悩んでいる人の悩み,苦しみ,病気の原因となっ ている生活習慣,そういったものに注目して診療していかなくてはいけないということです.
具体的に例をあげます.ここに糖尿病の患者さんがいるとします.血糖値の数字に注目してお薬を加減することは,マニュアルさえあれば医者でなくても できることです.それよりもはるかに大切なのは,その患者さんが,ご飯がおいしく食べられるか,食欲はどうななの,仕事場のストレスでお酒の量が増えてい ないか,タバコはどうなのか,日常の運動量はどうなのか,そういった生活,はてはこれからの人生観にまで関わって診療していくことです.
> 本人に聞けばすぐに分かる事かもしれませんが、それには少し気が 退けるので、
なぜ気がひけるのでしょうか?本人が気分を悪くするからでしょうか?本人が気分を悪くするようなことでも,私になら聞けるのですか?それが本人のためにな るのでしょうか?私は医者ですから,病を負っている本人が気分を悪くするような話はできません.
病を負っている人のために何かしようというのなら,実は,病名とか病気の知識とかはどうでもいいことなのです.その人のために何かしてあげようとい うのであれば,まずは,その人が話をしたそうにしている時に(そっとしておいてもらいたい時もあるでしょうから),ひたすら聴いてあげることが大切です. 実はこれは,病気のプロである医者が,患者さんに出会って一番はじめにやることです.患者さんと出会って,はじめにやることはひたすら患者さんの話を聞く ことです.いや,何回も会っている患者さんでも,まずは体の調子を聴くわけです.
地雷原の諸君へ:諸君が毎日歩いている地雷原は,カンボジアやアフガニスタンにある 類似品より,一層性質が悪い.というのは,地雷の本体が,人間,紙切れ,治療手技,会話,署名,金と,様々なものに姿を変えてくる.病棟,外来,当直室, 医局,バイト先,休日,当直明けと,時と場所も容赦ない.あなたの周りにはあらゆる型の地雷が揃っているが,親切なNPOが地雷を除去してくれるわけでは ない.一番問題なのは,地雷を踏んだらあんたがお陀仏になるだけじゃなくて,患者さんや他のスタッフも巻き添えになるということなんだ.
もちろん,本には教科書的なことが書いてあるし,指導医もいる.でも,本に書いてあることが全てなら,毎日たくさんの人間が地雷の犠牲になるわけが ない.指導医ってのも,それだけ地雷をたくさん踏んできたってことだから,全面的に信用してはならず,議論の相手ぐらいに思っておいた方がいい.
そんな具合だから,商売を続けている限り,毎日,不発弾騒ぎ,至近弾は日常茶飯事だ.時には本物の爆発を目の当たりにする.そんな地雷原で役に立つ ことを一つだけ教えてやろう."あれは特別な地雷だ.自分には縁がない"と絶対に思わないことだ.初めに言っただろう,特別な地雷などありえない.どんな型の地雷で も,あんたのすぐそばにあるってこった.
カッコつけようぜ:救急外来でカッコ良く見せるなんて,簡単さ,いつもモナリザよりも, ちょいと愛想のいい微笑をたたえていればいい.多発外傷が来ようと,高熱を出した子供が泣き叫ぼうと,酔っ払いが管を巻こうと,必死の形相にならないこっ た.あんたが必死の形相になって怒鳴ったって,誰の何の得にもなりゃしない.ちょっと年季の入った看護婦に,おやまあかわいいわねって思われるのが関の 山.救急外来で必死の形相になって怒鳴るのは,テレビドラマの中の医者に任せておくことだ.
大変な紙切れ:医師免許.大変な紙切れです.これ一枚あれば試験を受けずに公務員に なれます.他の職種では公務員試験を受けないと公務員になれないのに,医者ならば,試験を受けなくても国立や県立の施設に勤められるのですからね.これは 医者以外の人から見れば,大変なことです.
また,この紙切れ一枚で,人間の生き死にを判定できるのです.死亡診断書が書けるのは医者だけです.医者は禁治産の判定に決定的な判断材料を提供し ます.その判断で何億円ものお金の動きが左右されることもままあるでしょう.
あなた自身に関しても,人生を大きく支配します.酔っぱらって(酔っぱらわなくても)殴り合いのけんかはできなくなります.車による人身事故も職歴 に致命傷となります.恋愛関係がもつれての刃傷沙汰も,芸能人には勲章になるかもしれないけれど,あなたにとっては身の終わり.
それどころか,菓子折の受け取り一つにも慎重であらねばなりません.みなさんにそうしていただいていますからと,横並び意識を利用して全て断るのが 身のためです.どこで足をすくわれるかわからない.
臨床の場での責任に加え,こういう社会的縛りの中でも,この職業を続けていられるのはなぜでしょう.それは,職人として,勉強し,修行をすれば,そ れだけ自分が伸びていく,診療技術が少しずつ向上して,患者さんの幸せにより貢献できるようになる,そしてその小さな進歩に達成感を感じて,周囲にも認め てもらえるからだと思います.
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なぜあなたは医者をやるのか:なぜならあなたは天才ではないからだ.臨床家に特別 な才能はいらない.臨床の世界では,あなたのような凡庸な人間でも,運不運に全く関係なく,日々努力すれば,それが必ず報われる.研鑽を積めばそれだけ自 分が伸びていく.
米国でレジデントをしていたある日本人医師は,英語がよくできなかったので,看護婦からの連絡事項がうまく聞き取れなかった.だから,必ず病棟へ 行って患者を診てから指示を出した.この態度が患者からも医療スタッフからも高く評価されて,チーフレジデントになったという.
わかっただろうか.運鈍根と言われるが,運がなくてもいい.鈍と根だけで生きていける世界だ.この世の中では,努力や勉強だけではどうにもならない ことが多いのに,あなたは何て運がいいのだろう.そういう運だけで十分なのだ.
大穴狙いの癖:私は家人から,よく,あまのじゃく,へそ曲がりと非難される.しかし,臨床 医をやっていれば,自然とそうなるものだ.だってあなた,胃が痛い(心窩部痛)という主訴を聞いて,胃潰瘍をまず思い浮かべたら,"だから素人は困るんだ よな"って,知ったような顔をした指導医に馬鹿にされるだけじゃないですか.仮にも医師免許証を持っているのなら,心窩部痛と聞いたら,まず心筋梗塞を思 い浮かべてください.その次に糖尿病性ケトアシドーシスと虫垂炎かな.いつも大穴を鑑別診断のトップに持ってくる癖がつくんですな.
宗教の世界:信じたものを正しいとするのは宗教の世界であり、単にしたいからするのは 子供の世界である.医師免許証を持ったあなたは,宗教者でもなければ子供でもない."広域スペクトラムの抗生物質"なるお題目を唱える伝道師の言うことを 盲目的に信じたり,自分がやりたいからPTCAだ,いやそれはもう古いからステントにしようといった節操のない真似は決してしないように.
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昔話
本塁打ではなく
朝8時に,やれやれ,ようやくこの当直も空けるかと思って検食の朝食を食べようとしたところ,病院のすぐ隣 にある工場から,職場で朝の会議中に突然頭が痛くなったから受診したいとの電話を受けた.電話をしてきたのは本人(56歳の男性)だから,当然意識は清明 である.あなたはあと1時間で当直勤務が終わる.昨夜は重症患者が2人も入院した.頭部CTを撮影するためには放射線技師を呼び出さなくてはならない.一 方,8時半になれば放射線技師も神経内科医も出勤してくる.こんな場合,あなたならどうするだろうか?
しかし,私は,"しめた,お客さんだ"と直感し,目の前の朝食のことなど忘れて,"すぐ来てくださ い" と嬉々として即答した.10分ほどして,作業服のままの患者さんが自分で歩いて現れた.診察室の入り口で,意識清明で,手足はすべてよく動くことがわかっ たわけだ.ありがたい.
"頭はひどく痛みますか"
"それほどでもないのですが,突然起こったものですから"
"大事なお仕事がこれから始まるというのに,わざわざいらしていただいたのは,それだけご心配だったからで すか?"
"ええ,こんなに突然頭が痛くなるのははじめてなもので,不安になって".
誘導尋問めくが,病歴そのものが,本来誘導尋問的な要素がある.頭痛そのものはそれほどひどくないの に,少し我慢すれば,仕事をつづけられるのに,わざわざ病院に来たという,患者さんの不安感を確認しておきたかったのだ.そういう不安感を共有しないと, 重い病気の診断を下す決断ができない.
あと,15分ほどたてば放射線技師が出勤しウォームアップ後にCTを撮影するのは簡単なことだった. しかし,この言葉を聞いて,CTはおろか,項部硬直も,眼底も診ずに,私は患者さんに宣言した.
"くも膜下出血だと思います.確率は8ー9割です.そうでない可能性も1ー2割あるわけですが,もし 私の診立てがはずれても,それは万々歳ですから,この博打はくも膜下出血に賭けましょう.ですから,緊急に脳神経外科のある病院に,救急車で,担下の上に 横になって行ってもらいます.大げさだと思われるかもしれませんが,導火線のついている爆弾を暴発させないために,必要なのです"
"わかりました"
ほどなく到着した救急隊員に向かって,私は頼んだ.
"この方は意識もはっきりしていて,軽度の頭痛以外に何の症状もありませんが,くも膜下出血を強く疑ってい るので,ストレッチャーの上で横になってもらって行って下さい"
後日,転送先の脳神経外科医からの返事には,頭部CTでは異常なかったので,腰椎穿刺をしたところ, 血性髄液だったので,血管造影を施行.右中大脳動脈に動脈瘤があった.クリッピング手術を行い,患者さんは無事退院した.
ホームランを打ったという感覚は決してない.1点リードされた9回裏,無死1,2塁で,3塁線にバン トを決められたというところだろうか.
空振り大歓迎:
1984年のある日曜の朝だった.僕は日直だったので,登院後すぐに病棟に顔を出した.すると,前の土曜の晩,50代の男性が入院したことがわかっ た.頚椎症で整形外科に通っていた男性だという.昨晩の当直は整形外科医だったこともあり,余りにも痛みが強くて入院したのだという.
ドリフターズの"全員集合"(当時の人気番組だ)をビールを飲みながら見ていた時に,突然肩が痛くなったんですって.随分気楽な時に肩が痛くなるも んですね.
夜勤明けの看護婦が皮肉っぽく言うのを黙って聞きながら,おかしな話だと思った.土曜の夜,くつろいでテレビを見ていたのに,病院に来て入院したん だ.余程のことだろう.肩が痛いだって?頚椎症だって?それで入院だって?おかしなことばかりだ.とにかく患者に会って話を聞こう.
"頭が痛いんです.割れるように.吐き気がして朝ご飯も食べたくない"
ちっきしょう.話が違うじゃねえか.おいCTだ.昨日の夜は確かに肩だったのかもしれないが,今となっちゃ,そんなこたあ,どうでもいい.私はその 一言を聞いただけで,診察も何もしなかった.無診察で検査をオーダーしちゃいけないだって?冗談じゃない,あんたみたいな藪はそうかもしれねえが,あた しゃ名医なんだ.黙って座ればぴたりと当たるってなもんさ.
でも,先生,今日は日曜で,朝からCTのオーバーホールの予定ですよ.先ほどの看護婦が言った.
そういやそうだった.いっけね,もう始まっちゃったかな.電話に飛びついたら,日曜なのに技師長がいる.そうかやっぱりオーバーホールなんだ.
技師長さん,オーバーホールもう,始まった?
今,業者の方が来てこれから始まるところですよ.
ね,ちょっ,ちょっと待って.くも膜下出血を強く疑う人がいるんだよ.
でも,先生,もう始めるんですよ.本当に疑いが強いんですか?
もちろん.(一言患者の話を聞いただけだなんて,一言も言う必要はなかった)一人だけ,単純撮影だけでいいんだよ.ね,命がかかっているんだから.
わかりました,他でもない,先生のことだから.
ありがたい.恩に着るよ.
なあに,別に恩に着る必要なんかありゃしねえんだ.放射線科にとってやりがいのある仕事を持ってきたのだから,恩に着るのは向こうの方なんだが,笑 顔はただですという,マクドナルドの家訓がここで生きてくる.笑顔が見えるべくもない電話の向こうでも,"恩に着るよ"の一言が生きてくる.たとえ,くも 膜下出血がなくたってかまうもんか.結果的に空振りでも万々歳なんだ.何もなくてよかったねと,みんなで喜べばいいんだ.診断がはずれたって,恥ではな い.
それでどうだったかって?あったに決まってるでしょ.左の中大脳動脈の動脈瘤だった.手術後,患者さんは無事退院した.
バッターをやっている限り,空振りすることは必ずある.そんなことは問題じゃない.問題なのは,フルカウントになってから,次はホームベースの手前 でワンバウンドするフォークボールが来ると決めてかかって,バットを全く振らずに,ど真ん中の直球を見逃してしまうことなんだ.
研修:医師Aの場合:
冷やかしで受験した医学部に,たまたま合格するまでは,彼は医者になろうと思っていなかった.お医者さんは女の子にもてそうだし,お金持ちになれそ うだからという,ごく平凡な理由で,世論操作の仕事にコンピュータを応用すべく,理学部に入学するという遠大な計画をいとも簡単に投げ打ち,医学部に決め てしまったのがけちのつき始め.
学生時代にはプライマリケアなんて,全然考えていなかった,生きた人間を相手にする勇気は全くなかったので,病理をやろうと思っていた.特に内科な んて,しょっちゅう死亡診断書を書いていて,野球で言えば敗戦処理投手にしか思えなかったので,もし,医者になるにしても,死亡診断書を一生書かないです む,それでいて,治療計画が明確で結果がすぐ出るような診療科,整形外科か,あるいは眼科あたりがいいかなあと思っていた.ところが,肝心な決断ほど魔が 差しやすいもので,最終学年で見た風景の中で,魔術師気取りでハンマーを持って,おごそかに,治せもしない病気の診断を下す方が,いかにも専門家風情で格 好良く見えたので,こともあろうに自分が卒業した大学の神経内科医局に入ったのが次の大きな間違い.
大学病院と関連病院の計3施設で内科系の"ローテート"で研修したが,各施設でカリキュラムを共有しているはずもなく,てんでんばらばらの研修体制 だった.そんないい加減な研修体制でも,うつ状態でリタイヤ寸前の危機は何度となく訪れた.おかげで内科認定医受験の際のサマリーをそろえるのさえも四苦 八苦で,サマリーそのものの評価も最低だった.
その後2年間でねずみの面倒を見るために臨床は中断.ねずみの世話係が終わったと思ったとたん,総病床数850,剖検率日本一という機動部隊(当時 諸橋芳夫司令長官)のど真ん中に,指導者のいないたった一人の神経内科医として送り込まれ,右往左往の中でいつ名誉の戦死を遂げるかとの毎日が続く2年 間を何とか生き延びた後,スコットランドへ敵前逃亡.
ここの2年間も臨床は全くやらずに,パブ通いとウォーキング,釣り,ゴルフ三昧の片手間に,脳味噌の切片に薬を振りかけて写真を撮るだけの日々.そ の安息日も2年間で終わり,すでにバブルがはじけていた母国に帰国後は,教育・研究・診療の建前は守るが実質は薄給を補うためのバイトの日々という文部教 官を1年間だけ経験した後,そろそろ安定したまともな職に就かなければと思い,埼玉県の地方公務員となって県の特殊法人に出向し,重度精神遅滞者の診療と いう隙間に自分の居場所をようやく見出し,ここは7年間と大層長続きしたのだが,埼玉県の特殊法人リストラに遭って,痛恨の失職.
厚生省から出向していた埼玉県前衛生部長を拝み倒し,何とか国家公務員として採用してもらったはいいが,伝統的な配流地(親鸞も流された)である越 路にしか勤め先がなく,贅沢はいえないので,上越の精神病院の中でのコンビニ医者という隙間に潜り込んで現在に至る.学生時代のあこがれ,病理解剖当番の おまけつき.
何が言いたいのかというと,ちゃらんぽらんな考えで臨床医になり,若い時にまともな研修をしないと,後々までそれが響いて,定職にも就けないし,初 期研修もずーっと続くという教訓です.
ではなぜそんな彼が仕事を続けていられるのか?それはおそらく現場にこだわっているからでしょう."ゼニはグラウンドに落ちている" という名言を ご存知の方も少なくなったとは思いますが,こと臨床に限れば,"ゼニはグラウンドにしか落ちていない"のです.
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私の研修医時代:初期研修と聞くと,まず自分自身の傷を思います.患者さん が亡くなることは無論,熱が出たと聞いただけでも抑鬱的になりました.患者さんの具合が悪くなったのは,自分が何か間違いを犯したからだろうか,見落とし があったためだろうか,手技が未熟でまた患者さんに負担をかけてしまった,救急診療に全く自信がないのに当直をしなければならない.と,私にとって,うつ 病発症のネタは自分の周囲にごろごろ転がっていました.
余裕ある態度で診療に携わる先輩方はもちろん,同期の研修医も頑張って働いて伸びて行っているのを見て,これしきのストレスで弱気になるようでは, 自分は医者として欠格なのだ.大切な自分の命を守るためには,本当のうつ病になって自殺する前に早くやめるべきではないのか? と,いつ医者をやめようか とばかり毎日毎日考えていた日々でした.
それこそevidenceは示せませんが,もっと早く辞めた方が自分のためにも患者さんのためにもよかったのかもしれません.しかし基礎研究で飯を 食っていくほどの才能は持ち合わせていませんでした.臨床は,運なしの鈍・根だけで飯が食っていける世界だと直感したからこそ,しがみついたのです.やめ る勇気がないどころか,他に行き場所ないという理由だけで,ついだらだらとここまで来てしまいました.
正しく鈍になるのは本当に困難なことです.免許をとってから18年.おぎゃあと生まれてから18年と比較して,何と進歩も変化もない18年だったの でしょう.
初期研修で研修医の心のケアをするほど現場には余裕がないことも知っています.臨床医にふさわしい人間を選び出すのに適切なフィルターは,おそらく 臨床そのものなのでしょう.しかし,4月からまた新人が働き始めると思うと,私の古傷(そして現在,精神科診療をかじって受けている生傷)は一層痛みま す.
参考文献
Shanafelt TD, Bradley KA, Wipf JE, Back AL.Burnout and self-reported patient care in an internal medicine residency program. Ann Intern Med. 2002 Mar 5;136(5):358-67.
Collier VU, McCue JD, Markus A, Smith L. Stress in medical residency: status quo after a decade of reform? Ann Intern Med. 2002 Mar 5;136(5):384-90.
Clever LH. Who is sicker: patients--or residents? Residents' distress and the care of patients. Ann Intern Med. 2002 Mar 5;136(5):391-3.
専門医という名の素人たち:
内科専門医会 CPCの症例に関して,国家試験を終えて,研修医を始めようとする若い人とのメールのやりとりから
>実は、自信が無くて皆さんの前ではいえなかったのですが、ボクは
>ある程度検討した結果、lymphomaがあり、それを背景にトキソプラズマが
>あり、筋痛や神経症状を引き起こしているのではないかと考えていました.
いい線行ってますよ.自信を持って下さい.国家試験の勉強は決して無駄ではありません.三つ子の魂百までです.私は内科専門医の試験勉強では,国家 試験の内科問題集を勉強したものです.
私は若い時の方が自分の診断能力が高かったのではないかと思っています.若いときの方が,経験による余計なバイアスが少なく,所見を素直にとって診 断できたからです.
例えば,肺炎の診断で大学病院に入院してきた22才の男性を診て,入院当日に,病歴と身体所見だけで診断をひっくり返したのは,医者をはじめて2ヶ 月目でした.その時,僕は呼吸器病棟をローテートしていたので,入院時診断が肺炎の患者を受け持ちました.当大学の心臓血管外科の助手が外勤先で診察し, 肺炎と診断し内科に紹介した(!!)ケースでした.
診察してみると,背が高くて,舟状胸で,胸骨左縁に最強点のあるひどい収縮期雑音が聞こえて,熱が1ヶ月も続いているから,絶対におかしいと思った のです.そして,呼吸器病棟の新人にもかかわらず,チーフレジデントクラスの循環器の医者に,マルファン症候群・乳頭筋断裂・僧帽弁閉鎖不全・亜急性細菌 性心内膜炎と思われる症例が呼吸器病棟に入院したと相談しましたが,まず,肺炎の診断をしっかりしろと,取り合ってくれません.
ばかたれ,おまえの飯の種が入荷したってわざわざ教えに来てやったんじゃねえか.このど素人が,もう,てめえなんかには頼まねえと毒づきながら,業 を煮やした私は,循環器専門の助教授の部屋まで訪ねていったのです.彼も半信半疑で,恥をかきたくなかったら俺についてこいとばかりに,血相が変わってい たであろう私に引っ張られて,患者さんの胸に聴診器を当ててくれました.そうしたら,"確かにMRだね"と一言.私は,よかったな,お前はほんの少し心が けがよかったばかりに恥をかかないで済んだんだぞ,とばかりにニヤリ.彼の指示で件のチーフレジデントによりすぐさまエコーが行われ,腱索断裂,僧帽弁閉 鎖不全,心内血栓が証明されました.(ふん,ど素人どもが,エコーなんぞなくたって,患者を診て聴診器当てれば一発でわかることじゃねえか)こういう,専 門医という名の素人にだけはならないでください.
"肺炎"という診断は,舟状胸による胸郭変形のため,あたかも右房のシルエットが消えているように見えて,中葉の肺炎と見間違った可能性がありまし た.この患者さんの血培からは溶連菌が証明され,ペニシリンG による治療後,僧帽弁置換術が行われ,めでたく退院なさいました.
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検査前確率:私の場合
その1
"肝機能障害"(トランスアミナーゼばかりでなく,CPK(当時はセットメニューにルーチンに入っていなかった)も上がっていたことに,診断確定後に気づ いた)と"手足のしびれ"(手根管&足根管症候群だった.これも結果論)で診断に難渋していた患者を前任の同僚(彼はそれこそ沖縄県立中部のレジデントを 経験した腕っこき)から引き継いで,運良く私が診断を確定した後,飲み屋で:
"おまえ,どうして甲状腺機能低下症だってわかったんだ?"
"初めて診た時,どこかで診たような患者だと思ったら,5年ぐらい前に一度だけ症例検討会で診せてもらった,粘液水腫の患者と,皮膚の色と,ぼてっ とした感じの顔がよく似ていたことを突然思い出したんだ.それで,最近寒がりになったかって聞いたら,梅雨時までこたつを使うので家族からおかしいって言 われてるし,声がかすれてきませんでしかって聞いたら,得意だったカラオケもやめたって言ってくれたんだ."
その2:
無菌性髄膜炎のという触れ込みの患者を相談されて,上腕内側に刺し口を見つけて,これが医学部卒業後から絶対見逃すまいと思い続けてきたつつが虫病に違い ないと興奮して:
"ここで遭ったが7年目,血清は何がなんでも陽性にしてやる"(もう言うことが無茶苦茶)
"池田先生,あれがただのかさぶたじゃなくて,どうして刺し口だってわかるんです?だって実際に見るのは初めてなんでしょう"
"あんたと私じゃ思い入れが違うんだ.(もう言うことが無茶苦茶).あれは絶対刺し口だ.いいか,上腕内側なんて柔らかくて服で隠れる部位にあっ て,血痂の周りに紅暈があって,程良く皮がむけて,おまけに患者自身が気づいていなくて,痛くもかゆくも何ともないないんだぞ・・・(実際に診るのは初め てなのだから,これも教科書の受け売りだったなと思いながら)ええい,そんな屁理屈はどうでもいい,とにかく何でもいいからよっく見とけ.今回はただのか さぶたに見えても,次からは絶対に見逃すんじゃない"
これが私の診療の正体です(少なくと9割はこれ.この9割という数字も感覚的).エビのエの字もありません.
渾沌七竅に死す(荘子 應帝篇)
訪れてきた南海・北海の二帝を、渾沌は心から歓待した。渾沌の歓待に何とかして恩返ししたいと,いろいろと相談した二人が、やっと思いついた名案は次のよ うなことであった。
人間には目耳口鼻の七つの竅(あな) があって、美しい色を視、妙なる音を聴き、美味(うま)い食物を食い、安らかに呼吸するが、この渾沌だけには一つも竅(あな)がない。そうだ、せめてもの 恩返しに、ひとつ七つの竅を鑿(ほ)ってやろう。
二人は力を合わせて、一日に一つずつ,せっせと渾沌の体に鑿(のみ)を揮(ふる)い始めた。七日目にやっと七つの竅(あな)が鑿(ほ)りあがった。 けれども、やっと人間らしくなった渾沌は、よく見ると、もはや空(むな)しい屍(しかばね)と化していた。
負けない○○
学生時代,小島某の書いた,"負けない麻雀"で,麻雀を学んだ.勝とうと思わず,負けない手,振り込まない手を心がけろと書いてあった.それよりもずっと 前に読んだ徒然草第百十段にも同じようなことが書いてあった.
"雙六の上手といひし人に、その術を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず、負けじと打つべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手 をつかはずして、一目なりとも遲く負くべき手につくべし」と言ふ。"
麻雀は,大学を卒業してから2-3度やったきりか.決して強くはないが,診療も同じようなもんかなと思ってやっている."勝った"という覚えはな い.勝てないのなら,せめて負けないようにしようかと思ってやっている.
恐怖感
現場が怖い.学部の二年生の時,現場に出入りするようになってから今まで,ここ四半世紀ずっとそうだった.人並みに白衣を着て聴診器を持つだけでは満足せ ず,ハンマーまで持って,地雷がどこに埋まっているか,隅から隅まで知り尽くしているような顔をしていても,やはり怖い.もちろん,その恐怖感を持ちつづ けているからこそ,ここまで大事故に遭わず(と思い込んでいるだけかもしれない)やってこられたのだが.
私は,大学院一時期,ネズミのお医者さんをやって,ネズミは死んでも,慰霊祭に出ればいいだけで,訴えられないから,ずっとネズミのお医者さんやっ ていたいと思っていたが,大学院を卒業した後はいわゆるお礼奉公で,我々が東部戦線と呼んでいた,千葉県東部の850床の地域基幹病院に,たった一人の神 経内科医として赴く運命が待っていた.
院長が山本五十六と同郷の長岡出身で海軍,それも潜水艦に乗っていた人で,院長ではなく,艦長そのもので,その艦長の下で働く運命にあった私は,そ れこそ,片道切符で戦艦大和に乗り込む気分だったし,実際の勤務も戦場そのものだった.
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